↑ 銅の玉子焼鍋
手づくり、職人の仕事
総じてモノづくりにこだわりなさいという
願いなのか
要求なのか
スタッフからもらった誕生日プレゼントには
深いメッセージが刻み込まれている。
「かりそめ」カテゴリーアーカイブ
Patina
北庭の台地
北に向いた屋島を舞台に
物語は始まった。
その場所に
それを取りまく大自然を取り込みたい。
そんな直感を信じ、
地域の環境をとらえ
直感を研ぎ澄まし、
秩序を与え
命を吹き込みながら
空間構造を楽しんだ。
北庭にはいろんな植物が育っている。
地面は生命の源、
豊穣の源。
これからますます生命の躍動感や、
豊穣の希望を感じながら
成長していくでしょう。
早朝から撮影の立ち会い、
ありがとうございました。
いただいたぐい吞みで
南をゆっくり味わいながら
教えてもらったノースライトを
読了しよう。
甘え
ご多分に漏れず、
シンプルな平面計画に切妻屋根。
施主の要望と、設計者の欲望。
つまり甘える豊かさをこれから形にしていく。
いろんなお菓子を一度に食べてみたい、
おもちゃを箱から全部取り出してから遊びたい、
というように。
大人たちがバカらしい、
意味がない、
効率が悪い、
と顔をしかめるようなことを、
茶目っ気たっぷりに
やってみようという甘え。
甘えを言うのはそれ自身よりも、
それを受け入れられる前提が
あるということの方が重要だと思う。
そして上手に甘えさせることが出来るのは、
甘える喜びを十分知った大人。
上品なあまやかしは芳醇で豊かです。
解体で出てきた石の積み木を、
どうやって遊ぼうかと。
陽は昇る
1年ほど前にお引渡ししたお家の撮影。
目の前に広がる太平洋を受け、
そこから昇る陽を眺めると
現実を忘れてしまいそうである。
「新しい現実」に対して、
私たちはどう変化し、適応していけばいいのか。
元に戻るのではなくプロセスを変える。
これを踏まえて
進化していくという気持ちを
持つことなんだと思う。
各々が新しい現実に合わせて、
人間の文化や社会を
ポジティブに成長させていかなければならない。
陽は落ちまた昇る。
朝早くからの立ち合い、
ありがとうございました。
まわりまわって
そうなってしまったことは、
そうなったこととして受け止め
その上で次の手を考えて行動するほかない。
間髪入れずに反応しなければならない。
反応を示せばたちまち引き続いて
諸条件の変化が発生して次の手を打たなければならない。
はてさて暮らしにくい世の中になっている。
この緊張状態にあるとき、不都合、不具合、
それらを乗り越えようとする力が、
生命なのかもしれない。
人類の歴史はそれを繰り返してきた。
文明が栄える時には
いつもその危険がいっしょについてまわっている。
ほんの一寸した声にしかならないかもしれないけど、
せめてこの暮らしにくい世の中の
方向への加速だけは避けたい。
まわりまわってやっぱりそこに
戻ってくるはず。
清水町の家
北庭の台地
山田の家
保内の家
発見
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
年始は実家に帰ってました。
写真はその時に立ち寄った
称名寺というお寺です。
始まりも終わりもなく
流れ動き続けるようなかたちは、
その背後に生命の円想を観、
その生命を敬し、愛し、
仏教が教える捕らわれのない心、
執着から解放された心を発見し、
かたちに表わしているような
鐘楼です。
§
発見とは
「私たちによってつくり変えられるべき世界」ではなく、
「私たち一人一人がそれによって支えられている世界」を、
そこに見出すことなのでしょう。
今年は、
「いまだ知り得ぬ世界」の外に身を置きながら、
想像や予想を積み重ね、
外の世界の尺度によって情報を集めたり、
一人一人が引きつけられる部分や全体を感じ、
それを共有する人の存在に気づくことで、
発見出来ればと思います。
大晦日
家とは、、、
「松並木の家」オープンハウス
このたび岡山市北区で
設計監理を進めてまいりました
「松並木の家」が竣工します。
クライアントのご厚意により
9月22日(日)オープンハウスを行います。
お時間が許すようでしたらぜひお越しください。
当日はゆっくりご覧いただけるよう
事前に予約いただいた方を
優先とさせていただいております。
ご予約は下記、TEL・メールにて
お問い合わせください。
現地の場所については
ご連絡いただきました方に
こちらからご案内いたします。
TEL:086-235-5516
Email:info@k-tenk.com
不在により電話がつながらない場合は
お手数ですがメールにて予約をお願いいたします。
受付は9/21(土)17:00までとさせていただきます。
§
建物が建つ場所の広がりや
歴史的な時間の流れを
感じ取りながら情景を集め、
その造形の「わかりやすさ」は
思い入れに比例し、
そこに埋没することなく、
悠久、
つまり永遠への渇望のような気持ちを
形に凝縮させることが
出来たと思います。