月別アーカイブ: 2012年1月

新しい居場所

これからの自分の居場所に
親しみをもって接し、
子供のようにホコリが舞う
その場所とたわむれ、
県庁通りを行き交う人々の動きに見とれ、
楽しみながら場所を作っている。
 
全ての創造の素は
好奇心なのだという事を
スタッフを見て改めて思い知る。
 
 
 
薄暗く未だホコリ舞うその場所で
スタッフと無駄話。
 
無駄話が無駄のままとも思わないでもないが、
無駄はある種の油であると言う
俗論もあるからね。
 
 
と言うことで、
2月には事務所を移転します。
 
お施主さんには
大変ご迷惑をおかけしてますが、
より一層環境が良くなると思います。
 
 
詳しくは追ってご連絡いたします。

一人だけではもうアカン

朝から晩までの打ち合わせを終え、
もういい加減まとめないといけない実施設計を
高知市内のホテルにて加速させる。
 
 
疲れ過ぎて眠る気にもならない。
 
明日を乗り切ることだけを
考えるような状態になりかねない。
 
 
 
と、去年までは思っていても
日記に書けなかったが、
今年から加わる新たなスタッフと
これからもっと
さらけ出していくやも知れぬ。
 
 
この仕事の面白いところは
自分一人では出来ないことだ。
 
必ず「他人」の手を借りなければならない。
 
その最大の「他人」は依頼主であり、
この「他人」が出現しない限り
ワタクシたちの意欲は
ただの机上の夢にしか過ぎない。
 
実は、依頼主の他にも「他人」はいる。
 
 
スタッフである。
 
 
今年から加わるスタッフには
これから向かうべきコトのさわりを少し話した。
 
まぁ、飲んだ席だったので
ワタクシのアジテーションを
まともに聞いているかどうかは知らない。
 
ワタクシもまともに言ったかどうか定かではないが、
正面から受け止めてほしいとは思う。
 
 
明日午前は、阿南市で打ち合わせ、
午後は再び高知に戻り南国市の打ち合わせ。
 
近いうちに、
ワタクシとスタッフの創造力を震わせる震源地を
みなさんにお知らせできるだろう、、、
 
と、自分自身を奮い立たせている。
 
 
 
そうでもしないと、やれないから。

落ち着く年明け

 
年も明け
ようやく落着くこの頃になると、
妙に寂しくもなる。
 
年明け直後の頃は、
当たり前だが、昨日が昨年になる。
 
今年と来年と昨年が行き乱れ、
実に賑やかな会話になる。
 
もはや環境的な、
その境界線に翻弄させられる楽しさがある。
 
いつもなら。
 
しかしこの年越しは
それがあまり感じられなかった。
 
平穏な年越しだった。
 
 
 
 
去年は書けぬことが多過ぎたように思った。
 
字面に現れただけの男だったら頭は良いけど、
それ以上じゃないぜ
という感じである。
 
ランドマークになるその場所は
想像力をふるわせるに違いないが、
震源地はまだ視えてこない。
 
 
今日午前中は「常盤町の家」の地鎮祭。
 
午後の高松での
打ち合わせまでに少し時間があったので、
サービスエリアでボーっと過す。
 
つぶす時間がある内が花なのだろうな。
 
これからのプログラムを確認しようと思ったけど、
眠くて出来ない。
 
人間には休息が必要である。
 
少し仮眠をとる。

あけましておめでとうございます


年末、ワタクシが作った「お飾り」
 
 
 
あけましておめでとうございます
 
年末は何かと慌ただしく、
気がついたら年を越していた、
 
なんて言うことはないのですが、
今年はより一層精進していく
所存でございます。
 
 
 
初夢を見ることはなかったが、
こういった仕事をしていると
「夢」とか「幸せ」という言葉が
現れては消える。
 
では、幸せとは何なのかということを
年末年始の忙しい時に考えてみようと思ったのは
特に今、
ワタクシが不幸せだから考えている問いではない。
 
 
幸せの象徴としてだいたいおおまかに決まっている。
 
合格や優勝もそのうちの一つかもしれない。
 
結婚や恋愛もそうかもしれない。
 
瞬間的な幸せを描くことは出来るかもしれないけど、
永続的な幸せを描くことは難しいと思う。
 
だから、幸せと不幸せは程よく織り込まれるものなのだろう。
 
 
見えたり見えなかったり、
幸せは蜃気楼のようなモノなのかもしれない。
 
ただ「コレ」について考えることは、
自分にとって大事なものは何かということを
確かめるきっかけになる。
 
たとえばワタクシにとって大切なことの一つとして、
(もちろん家族も大事ですが)
建築をつくること。
 
 
建築は一般に簡単には建たない。
 
とてつもなくお金がかかるし、
規模も大きい。
 
クライアントの多種多様な想いを始め、
社会的な存在となることを求められることもあれば、
法律などでいろいろな条件がつけられたりもする。
 
そうした複雑な条件が重なる存在なので
単純に絵を描くようには実現しない。
 
 
けれど、それでいいと思う。
 
簡単には建たないものだからこそ、
それが建ち上がるときの喜びと充実感は、
何にもまして大きい。
 
そればかりでなく、
その過程でいろいろな人々と出会い、
偶発的な出来事が織り込まれていく。
 
そうしたさなかにいるとき、
蜃気楼のように見えていた「ソレ」が
ほんの少しだけカタチを見せてくれる。
 
今年もいろいろな人と出会い、
「ソレ」を一緒にカタチにしていけたらと思う。
 
 
 
始まりがあれば終りもあるのは
世の必定ではあるが、
この数年間、
やってこようとしたことはいいことだけど眠っている。
 
寝た子を起こしてはいけない。
 
起きた子の方を大事にしなくちゃならない。
 
いつも思うことだが
表面的なものより、
何か込み上げてくるものを大事にし、
今年は起きた子とも「ソレ」をカタチにしていこうと思う。