昨日、5年前にお引渡しした
高知のクライアントと岡山で久しぶりの食事。
中庭を見下ろしながら
7時間も一人飲みを楽しんでいるらしく
それを聞いただけで、
家づくりのお手伝いをして良かったなぁと嬉しくなる。
引渡し前にクライアントとこっそり現場に入って
同じように中庭を見下ろしながら
お酒を交わしたことを思い出した。
久しぶりの人に会う場合、
その間隔が大きいほど、
話題や変化も大きくなる。
何ヶ月ぶりとか、
何年後にはなど、
今の状況を理解するために
時間軸を相対的に扱い、
比較して今を判断するのだろう。
相対的なものをよりどころとしてそのものを理解する。
それは空間と同じである。
そして、5年前中庭を見下ろしながらお酒を交わした空間に
タイムスリップした。
§
共に遅くまで飲んだにもかかわらず
写真は、クライアントが朝起きて
岡山城周辺をジョギングしながら撮った写真だそうだ。
岡山の良さと、クライアントの底力を
改めて知らされた写真である。
月別アーカイブ: 2015年5月
小さな家もいいもんだ
先日は、
「少し小さな家」のお引渡しと、
「もう少し小さな家」の設計契約でした。
それぞれの床面積は
24坪と20坪。
依頼主はもちろん、
建てる場所、
敷地の大きさや形状、
要望などは違えども
共通して言えるのは
「共生の原理」
それは
「自然と人間」
「内と外」
「光と闇」
などなど、、、
「ツルツルピカピカはダメです。仕上げは前からそこにあった感じで。」
「個室は要りません。適当にベッドを置きます。」
「開放的に。外から見えてもいいです。目が合った時は手を振ります。」
依頼主が設計者よりもよほど乗りやすく
また勝手な想像力をたくましくしてしまう場合は、
設計者はただただ大人しく
ニコニコしていればいいのである。
そして時に、
それはチョッとやり過ぎじゃありませんか?
なんてうつむき加減につぶやいて
うれしさをかみ殺していればいいのである。
可愛くも、しつこい病原体
「高松町の家」
写真家の野村さんから
先日撮影した桜の夕景の写真が
送られてきました。
ここ1、2ヶ月間、
咳に悩まされている。
「風邪ですか?」
「花粉症ですか?」
って聞かれる度に言葉が詰まり、
つい小さな声で
「マイコプラズマって知ってますか、、、
そうです。数年前に流行った、、、
肺炎ではないのですが、、、」
と、申し訳なさそうに、、、
診察してもらった先生の気持ちも
わからないでもないのだけれど、
何かはっきりと言えない症状であることだけは、
はっきりと言える。
この可愛くも、
時代を象徴するようなネーミングとは裏腹に
しつこさと気まぐれさを併せ持つ病原体は
今もなお、
ボクを苦しめている。
廿日市の現場
足場が外れたら外構工事に入ります。
「3日から足場を外します。」
現場監督から連絡があり
ゴールデンウィークの初日は広島・廿日市の現場へと向かう。
幾度となく渋滞に巻き込まれながらも
やっとの思いで現場に着く。
世の中はゴールデンウィーク。
休みって何なのか。
考えてみれば連日遊んでいるようなものなんだ、
と思うしかない。
廿日市の現場からは、晴れ渡った瀬戸内海の島々が見え
さらには厳島神社が見えたとき、
人間が意を決して自分を捨てて他者のために生きようとした時に、
空海が弥山を開基したように
ごくごく自然に建築という行いを
思い描いてしまう性まで考えてしまうのだろう。
夕日が影を落とす。
外壁の仕上げ。完成されているけど完成されてない感じがいい。
さっそく入居者が、、、
いくつかの計画案
囲まれた場所に建つ家
ここ数ヶ月、プレゼンテーションが続く中、
実態としての建築や計画していると、
大事に育て、力づけようとしてきた夢想が
現実の力に抗いきれずに、
ボロボロに崩れ去って
霧散してしまいそうな体験を度々してきた。
もちろん崩れ落ちてばかりではいけない。
内からの意思も必要である。
他者との戦闘能力は必須なものであるけれど、
やはりお互い内なるものがなければ何もスタートしない。
崩れても尚、根気強く続けていられるのは、
その内なるものが
時に他者との遭遇から生み出され、
発酵されるからなんだと思う。
また発酵されるいくつかの大事なものが動き出す。
小さな家
幹線道路に建つ美容室
変形地に建つ平屋の家
角地に建つ家
細長い敷地に建つ家