テンキュウカズノリ設計室」タグアーカイブ

不完全な認識

打ち合わせのため宮崎に向かう。
日向市駅舎
ここにも内藤廣の設計が、、、
 
人が何かを伝えようとすると、そこには必ず様々なノイズが入り込む。
 
同様に、私たちは認識するとき
たいてい多くの誤謬や錯覚を抱いている。
 
 
それは、時に希望観測的な願望であったり、
必要以上のニヒリズムであったりといろいろだけど、
いずれにしても人の認識と情報の処理能力には限界があるので
「完全な認識」にたどり着くのは難しい。
 
誰でも「あの時、これを知っていれば、、、」
と思うようなことは、日常生活の中でも繰り返し起きる。
 
ボクもそうした試行錯誤の中に生きている。
 
正しい認識にたどり着きたいという思いは、
今も昔も人間の共通の希求としていつまでも消えることはないが、
追い求めて行かなくてはならない課題である。
 
ただそれとは別の考え方として、
「誤読的な想像」や「偶発的な出来事」が
新しい姿を創り出すこともあるし、
実際、建築の創造においては、そうした側面が多い。
 
だから誤読と偶然は、必ずしも無意味なものではない、と思いたい。

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「高松町の家」オープンハウス

↑「高松町の家」足場が外れ全貌が露になる。
クライアントのご厚意で、予約制ではありますがオープンハウスを行います。
ご興味のある方はメールにてご連絡ください。
 
場所:香川県高松市内
日時:4/12(土)、13(日)
連絡先:info@k-tenk.com

 
張りつめていた建築が浅春の陽気でほどけ始める。
 
私のこれまでのいくつかの建築と違うものがあるとすれば
形としては単純明快で素材として複雑なニュアンスをもたらせている。
 
形のない形への具体的方法は素材自体の装飾性にあるのかもしれない。
 
そして、この家のご家族を象徴する3本の木は
何よりの力づけになり
天蓋へと伸び大きな屋根を支え
楽しめる居場所になるだろう。

 
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「菩提寺庫裏」基礎工事がおわる

さぬきの工場 棟上げ

↑ 工場の架構
 
 
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↑この週末はさぬき市で工場の棟上げ。
少しずつカタチになっていく我が工場を遠く見つめる主と
土いじりをしているムスメさん。

 
 
 
そういえば野菜や土をいじっていると
突然良いアイデアが浮ぶのだと誰かが言っていた。
 
私も触ってみたがもちろんそんなことは訪れて来るわけがない。
 
普段アブストラクトなことばかり考えているから
それで具象物に触れたい欲求が生まれてくるだけなのか。
 
そんなことばかりしてるから予定がこなせないのか。
 
もろもろの仕事が気になって仕方ないが、時間が取れない。
事務所になかなか戻れない。
 
今はスタッフを信頼するしかない。

 
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西予市「三瓶の家」

ファインダー

「屋島の家」
この街を別の視点で、別の角度から、
そして別のスピードや、カメラみたいに
別の明るさのレンズで眺めたら、どうか。
 
つまり、普段使っているカメラとは違うファインダーで眺め直したら、どうなんだろう、、、
 
そんな想いから遠くの山並みや町並み、
森や空のようすを建築を使ってはっきりと見せたかった。
 
遠くを眺める装置になったらと考えたのも確かだけど、
建築も自身も内外を見つめられる。
 
そんなことからも何かを考えるきっかけになってくれたらなぁと思っている。
 
是非足を運んでいただき、ご自身の眼球を内外に向けて頂けたらと思います。
 
クライアントのご厚意で予約制ではありますが
香川県「高松町の家」と「屋島の家」
徳島県「石井町の家」
のオープンハウスを4月にそれぞれ行います。
日程は決まり次第、後日ご連絡いたします。
 
ご予約はメールにてお問い合わせください。
場所についてはこちらからご案内いたします。

左官を考える

「高松町の家」
 

生まれながらの指導者なんているわけでもないが、
どう考えても社長や会長といった言葉は
ふさわしくない人物がいるものだ。
 

いわゆる職人たちはなかなかまとまりにくい連中である。
 
それぞれが手に職を持っているから自主独立の気概がある。
 
勤め人たち宮仕えたちとは反対に群れたがらない。
 
だからこそ「親方」というのはそれなりの風格と貫禄を持っている。
 
そりゃそうだろう。
 
とかく群れたがらない職人たちをまとめていこうというのだから、
余程の気力と器が必要になる。
 
そんな人がいたらお目にかかりたいものだ、
でも現代にはいないだろうなと思ってたけど、いた。
 
丸亀市の左官職人秦さんの紹介でお会い出来た。
 
まさに「現代の職人たちのドン」
と呼ぶにふさわしい人物であってほかの何者でもない。
 
淡路島の左官職人 植田俊彦さんである。
 
建築の工業化により左官職はうとんじられ
ジリジリと後退につぐ後退を続けてきた。
 
そんな中、若い職人たちを引き連れ
古いやり方も残し、新しいやり方も時代にあわせながら
楽しみながらやっている後ろ姿に左官職の未来を感じた。

ユートピア

「どこにもない場所=理想郷」
 

というのはフーリエやブルーノ・タウトらの建築を指すときによく使われるが、
 
固定化したしたイメージを持つからこそ、
そういうくくりにしてしまうことで、
個々の特徴がかえって見えづらくなっている。
 
 

理想の社会を描くことは
建築家の仕事であり本能でもあると思うけど、
ユートピアは与えられるものではなくて、
ふとしたときにささやかに感じては消えてゆく、瞬きのような自覚だと思う。
 
そんなフワフワしたまま設計を始めるべきか否か。
 
自分はいまこの計画に自由に関わっていると思えることや、
制限とすら思っていなかった制限にある日気がついて、
そこから解放されてゆく喜びを感じることが出来ることを期待するしかない。

参拝

四万十市の現場「菩提寺」
 

かねがね
「外に向いた眼球をクルリと内に向けて、心を観ぜよ」
と菩提寺の住職から戒められているわけではないのだけれども、
 
神社仏閣に参拝する折りにはこのように心掛けているものの、
 
内に向けてばかりでは
どんな障害物にブチ当たってこけたりとも限らないので、
 
現場が始まるまでは目ん玉をひっくり返しておこう。

変わること、変わらないこと

緩やかに解体しつつあるとある西の果ての家
 

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岡山市内で再生されている家

 
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さぬき市で再生されている家
その横にはこれから工場が造られていく。

 
 
人は誰でも緩やかに変わりつつある。
自分を時に意識しつつ
変わらなければ、と思いつつ、
なかなか変われなくて悩みつつ生きている。
 
「変わらないこと」の大切さがある一方で、
「変わること」も大切だと思う。
 
どこで変わるきっかけを見つけるか。
 
どこで「死」と「生」のきっかけに出会えるか。
 
家を再生したり、新しい場所に移り住むのも、
新しい「死」と「生」を迎えるということと、
どこか繋がっているような気がする。

建築の神様

「トイレには神様がいる。」
あるクライアントがこうつぶやいて以来時々こんなふうに思うことがある。
 
「建築の神様」みたいなのがいて
僕はその神様に愛されているかな、、、と。
 
たくさんのプロフェッションに関わる人々と同じように
僕もまた、自分の職能に忠実でありたいといつも思っている。
 
もちろんすべてを完璧にできているわけではない。
 
でも、少なくとも自分の出来ることを十分にやりきれていれば、
そのときにはきっと、「建築の神様」に
少しは愛されているかもしれない。
 
かつてルイス・カーンという
それこそ「建築の神様」のような建築家が
すでに亡くなったル・コルビュジェという
建築の巨匠に向かって、語りかけたことがあった。
 
「コルビュジェさん、私の建築はどうでしょうか?」と。
 
もちろんカーンには足もとにも及ばないけど
僕もこんなふうに聞いてみたくなる。
 
建築の神様へ、
僕はどうでしょう?
少しは頑張ってますか?

仕事始め

山の中を散歩。
 

年末年始はゆっくりさせてもらい、心身共にエネルギーを注入しました。
 
時々はあってもいいな。
こういう浮世離れした生活が。
 
ムスメがタカラジェンヌになろうとしているのは、ここだけの話です。
 
明日1月6日から仕事始めです。

 
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宝塚歌劇、創立100周年
気がつくと宝塚大劇場の中に、、、

 
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