テンキュウカズノリ設計室」タグアーカイブ

足場撤去

↑ ゑびすや、全貌が見える。
 
足場が外れた。
 
想定していたよりも
少しキレイに仕上がったような気がするけど、
この予算内でうまくいったと思う。
 
 
あんまり、ツルツル、ピカピカ
キレイに仕上がっては困る。
 
これから外構工事に入る。
 
矛盾に満ちた、不連続な仕上がりを
アノ人に期待するしかない。

対談

先日、とある雑誌で連載されている
対談の取材があり、
私なりに充実した一日であった。
 
この対談は今後作っていく建築に
変化をもたらすかもしれない。
 
 
まぁしかし肉声で対面して話し合うのが
一番ハードである。
 
声の質量、
眼の光、
身振りなどが総合したコミュニケーションは
快楽であり、
戦いである。
 
コテンパンだったけど、
忌憚なき意見を聞くことが出来て
少しづつ確信は芽生えてきた
か?
 
人は生きていく過程で、
いろいろなことに左右され、
出鼻をくじかれ、
変わることを強いられる。
 
でもどこかで変わらないことの安心も望んでいる。
 
しかし人も、人を取り巻く環境も、
諸行無常、全く変わらないものはない。
 
気持ちの命じるままに動こう。
 
 
「多肥の家」のHさん、
関係者の方々、
そして窪田さん、
 
貴重な時間、ありがとうございました。

納車2ヶ月

80歳のおじいちゃんが作るフレームが
やっと出来た。
 
未完のままに終わるかと覚悟していたのだけど、
天は見捨てなかった。
 
人間の力をまずは信じよう。
 
買うこと作ることの意味を確かめるため、
自転車を組み立てる。
 
4月ももう終わるけど、
残りの春は快適な自転車通勤で楽しめそう。

町おこし


「ゑびすや」
内部が仕上がってきた。
 
 
 
村をおこしたり、
町を元気づかせるのに必要なのは、
道路や、観光施設や、
大規模なショッピングセンターを
つくったりすることじゃない。
 
本当はみんなの気持ちを
寄せ合うことなんじゃないか。
 
 
そして、みんなの気持ちの中に
街の姿を建てることなんじゃないかと、、、
 
ゑびすやの打ち合わせまでに時間があったので、
尾道のあるお店でチャイを飲み
見知らぬ人と話しながらそう思った。
 
 
自分ひとりの時間は砂をかむように、
退屈きわまりなく流れる。
 
砂をかむような現実
誰にも同じ現実を、
他人と、その町で、
少しズラしたスピードや、アングルから見るだけで、
ザラザラがウキウキになることだってある。
 
それは誰にでも出来ることだと思う。
 
 
だからおたがいそうしよう。
 
0404-尾道

尾道の町を歩いていると
映像作家の中島興氏に出会う。

家づくり


今日は「南国の家」のお引き渡しと
高知での営業活動でした。
 
 
 
お引渡ししたクライアントの声や、
会場に来られた方の声を
お聞きしながら
家づくりと言うことを
いつも考えさせられる。
 
家をつくるという行為は
創造的なことだと思う。
 
 
自分の生活の場をこうしたいと思う気持ちは
人の根源的な欲望なのだろう、、、
 
程度の差こそあれ
誰しも抱く想いだと思う。
 
気に入った小物を部屋に置く。
 
花を飾る。
 
家具のレイアウトを考える。
 
庭に草木を植える。
 
それらの延長線上に
家を建てると言うことがある。
 
どうせなら
パッケージ化された
商品としての家を買うよりは、
その楽しみを味わえる
家づくりを勧めたい。

土間椅子


勝手ながら、
クライアントの椅子を
作ることにした。
 
 
 
しかし、デザインしてみれば
極めて観念的空想にふけりがちな
自分であることを感じ
不快である。
 
厄年を過ぎた
40過ぎの夢見がちなオジさんは
いただけない。
 
なぜ頼まれもしないのに
コレを作ろうと思ったのか。
 
商売を考えたからなのか、
新築祝いを差し出さなければならない
負い目からか、
それはわからない。
 
もしかしたら、
 
「変なものを送ってきやがって、
 どこ置きゃいいんだ。
 捨てれば目立つし。」
 
くらいをつぶやかれるのが
関の山かもしれない。
 
しかし、時すでに遅し。
 
今さらやめるわけにもいかないので
二宮くんと
スタッフの力を借り、
ザックリと仕上がった。

寒中見舞い申し上げます


「城南町の家」
スキップフロアを上がった先には、、、
 
0204南国の家

「南国の家」
このブルーシートの向こうには
アナタの知らない世界が広がっているやもしれぬ。
 
 
 
慌ただしかった去年を振り返る間も暇もなく、
今年からは関節の力を
ポキリ、ポキリと抜いて、
脱力していこうと思っていたのに、
年明け早々それとは正反対の行動に
辿り着いてしまい今日に至る。
 
と言うことなので
関節を抜きすぎたわけでもなく、
体調を崩したわけでもなく、
そんなことまで書かない方がいいんじゃないかとか、
正直すぎるとか、
色々なアドバイスをいただき
書く事に思い悩み
筆が止まってしまった、、、
わけでもありません。
 
気まぐれなだけです。
 
営業ツールとして発信している人にとっては
確かに正直すぎるかもしれないし、
もっと自分を飾って
良く見せるものなのかもしれない。
 
まぁ、1ヶ月も休んでしまったけれど、
気まぐれで始めたこの日記は、
自分でも驚く程に長続きしている。
 
コレはコレで自分の生活を客観化出来て、
正直すぎるボクにとっては意味のあることだが、
まだ気持ちのより深いところにあるらしき、
自分でもコントロールし難い部分、
想像力、感性、飛躍力といった部分を
検診することは未だ出来難い。
 
 
ご心配してくださっているクライアントや、
楽しみにしてくださっている読者諸賢、
気まぐれな日記ですが
思い出した時にいつでも覗いてくださいませ。
 
その時は誰も見たことがない世界があるやもしれぬ。

欲望の共同化


昨日しめ縄を作りました。
 
 
まぁ、なんと月日の経つのが早いことか。
アッという間に一年が終わった。
 
 
今年もたくさんの人と出会い、
たくさんの建築を一緒に創ってきた。
 
建築を創るという行為は、
「何かを共にし、創り上げること」
という、欲望の共同化ということと、
とても深く交差している。
 
そこには、「共に創ること」という楽しさが、
本来なカタチで織り込まれているからである。
 
「そこに住む人」
「それを構想する人」
「それを作る人」
 
の欲望が共同化され、
それぞれ異なった方向に発散することなく、
一つに向かって求められているからである。
 
その行為は他のことには換えられない楽しさと
手応えが生まれる。
 
来年も、それぞれの欲望が美しく織り込まれて、
新しい次元を拓くこと。
 
勝つことも負けることも意味を持たず、
 
「私は楽しい」
という思いが
 
「あなたも楽しい」
 
という次元へとうまく接続し、
伝達していくような関係のカタチが
出来たらいいなぁと思っている。
 
(年末なので少し真面目に綴ってみました。)
 
 
それではみなさん、
良いお年を!

工業都市


今日は山口出張。
この写真は新幹線こだまの車窓から。
 
 
徳山のこの風景を見ると、
トニー・ガルニエを思い浮かべる。
 
それは、もはや瓶と蓋みたいに
彼と一体になっている代表作
「工業都市」である。
 
数多の夢想家たちの思わせぶりな妄想と違って、
「工業都市」は肉厚なガイドブックだった。
 
そのガルニエが描いた街は、
工業群を取り巻くように、
豊かな自然に優しく見守られているように
配置されている。
 
1221-トニーガルニエ

トニー・ガルニエの工業都市