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余寒の琴平

琴平新町商店街

鳥居の横に佇む新しい建物がその形を成すべく

地鎮祭が執り行われました。

寒の戻りの冷たい風が心地よくもあり

鳥居をくぐり抜ける人々の視線が

自然と新しい建物へと引き寄せられる。

歴史的な景観と調和しながら

建築は時と場所

そして人々との対話を紡ぐ言葉のように

静かにその存在を主張し始め

空間が語りかけるように

過去と未来が交差する場所に新たな物語が始まります。

§

1年近く放置していたコレも始まります。

コンクリート

打ち放しのコンクリートの肌を見ていると、

一見堅い粗い純重なようなその中に、

実に温かいものを見出す。

型枠が鉄だったり、

塗装されたピカピカした型枠や

鉋などで仕上げた綺麗な杉板だったりした時は、

折目正しい紳士のように

ピリッとして近づきにくくもなるし、

普通型枠や針葉樹合板の型枠は

節くれだってまるで労働者の手のようだが、

何とも親しみ易い。

これにモルタルなどで表面を包んでしまうと

一見滑らかに色むらもなく仕上ってしまうが、

厚化粧のような濃艶さと同時に

下手をすればいやらしさも見え隠れする。

§

南内町の家 型枠が外れる

骨組みと修飾

建築におけるディテールが

最後の仕上げにかかわるとき

言葉における表現と似た状況であり

それはやがて装飾という形にもなるでしょう。

ところが言葉をどんなに修飾してみたところで

内容に変わりがなければ

国会答弁のようにすれ違いを生じ

ひどい時はごまかしたりする。

建物だってどんなに表面を飾ってみても

その骨組はごまかせるものではない。

表面が遊離していくだけだ。

底にしっかりした哲学が存在し

確固とした念があれば

表現におのずから現われ

建物の構造ががっちりしていれば

ディテールもまたそれに従って信頼を生むのだが

昨今の国会答弁は信じるに足るものではない。

自然エネルギー財団の

一件があったにもかかわらず国会ではとぼけ

一方で来月から電気代に含まれている

再エネ賦課金が値上がりし

省エネ義務化に向けてさらに拍車がかかるでしょう。

防衛と発展の本能

生活するということは、

自己をとりまく周辺を

自己の延長に取り入れることなのだろう。

となると2つの相反する力が働く。

1つは他者にそこを犯されないように守るということ。

もう1つはその場を広げる工夫である。

自己防衛と自己発展は生きているという証拠ともいえる。

そのありさまをこの場所で表現し

ここから新たに始まっていくのだろう。

天と地のわずかな隙間

天は重く地は堅く、

その間に広がるわずがな隙間に人間は住んでいる。

その隙間にさらに隙間を作るように

コンクリートで床を持ち上げ

その上に木造の建物が建つ。

1階がコンクリート造

2階が木造の混構造の建物

さながら各階ごとに様式の違う

金閣寺のようでもある。

書き出し

文章を書く時

書き出しや結びでピリッとしたり

しなかったりするように

建築の設計も

施主からいろいろな条件を最初に聞いていて

この手で行こうと

直観的にその場で何か生まれた時には

なめらかに出発する

その時に描いた茫漠としたスケッチは

最後まで大切に保存して

頭の中に焼きつけて置かないと

結びの頃になって

すっかりずれてしまうことになる

soil village ~4.ドジョウ~

畑であるこの土壌を

建築出来る場へ変換させていくことになるが、

この豊かな土壌を安易に造成し建築し

この場所のみで完結するのではなく、

ここで取れる作物や人々が循環してつながって

さらには広がっていかなくてはならない。

根っこ

木々はそれぞれの姿を

それぞれの法則に従ってあらわしているのに、

全体としての森や山林も

またひとつの性格をかたち作り統一されている。

木の葉や花も集団としても美しいが、

一本一本の独立した木も力強さを出現している。

独立した木の根っこのように鉄筋が群生し、

これらは浮遊する住居を支えてくれる。

葉っぱ

葉っぱは傘になり、

傘は屋根になり、

屋根は建築になる。

新たな空間はこんなふうにして出来る。

棟上げが終わり

誰が図面を書いたのかと

小言を言いながらも、

大工さんは粛々と垂木を架けていく。

完成間近

素材と光が重なり合う。

空間の中に形態、素材、スケールの多様性と

それらを結びつける秩序を用意した時、

きっと近い将来に

ウズウズと自慢の虫が

うずき始めるでしょう。