
物を愛し、
物をつくることに
生命をかけている人がいるとすると、
その人は
本来の筋を歩んでいるにもかかわらず、
知られることなく
生涯を終えるかもしれない。
しかしその人はそんなことよりも
安定した収入よりも
生きがいを感じ、
同時に仕事が楽しめる世界を
自らが作り出すのだろう。


卒業式を迎えた子供たちを見ていると
小さい頃を思い出す。
赤ん坊の時なんか
「あ~」
って言うだけで大体通じていた。
そのうちだんだん知恵が発達すると
口先だけで言うようになる。
大人になれば口先だけで話す。
腹ごとではうまくいかない。
その時何が通じるかというと、
物体は通じる。
造形は通じる。
次の日、
どうしても行きたい場所に
行くことにする。
それを教えてくれることを
願いながら。

今年ももう3月が終わろうとしている。
凍りついたブログは春寒の緩みで次第に解け始め、
ムスメの小学校卒業とともに
新たな気持ちでスタートする。
キレギレの時間と
バラバラな空間に
ドタバタな毎日。
小さいまとまりをつくりながら、
大きいネットワークをつくっていく。
これらをつなぐものが出来ないと、
本来の意味で一人一人の人生の時間を
大切にするようなものに
なっていかないような気がします。
バラバラな空間と
切りとられた時間の組み合わせの中で
生きているような世界から、
自分自身を大切にしていき
そして誰もがそれが出来るような体制に
していかないといけないなぁ
と、ドタバタな毎日の中で思いました。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
§
そこには建築も都市も敷地も要望もない。
あるのは子供の頃、
創造していたコト、モノ、バショを
表現すること。
そのわずかな要求の中で、
どのようなカタチ、記憶の片隅の中で
自主的なエネルギーを
誘発していくかが問題である。
それらを解決するのは記憶の連続なのか?
それとも思いつきの連続なのか?
それらの断片をなめらかに連続させていくのが、
直感的理論というか、
図形判断への気持ちの中の
心棒みたいなものなのだ。
§
ちょうど全体を見ようと
高台に上がってブランコを漕いでみた。
まだ向こうがあると空へ鳥のように飛んでみた。
空高く飛んでみたら
自分のいた場所はどこかへ消えていた。
考え直してみたら、
一人の時間が持てる
関心の数は限られており、
習い覚える量も限界内で、
判断できる範囲も
年齢とともに少なくなる。
今年は有限の世界から
もう一度見直す必要がある。
もしかしたらそれは
つくらないことこそ創造の世界であり、
有限の世界なのかもしれない。
2月のカレンダーにて

仕事納めはCSHの庭の打合せ。
そのままCSHのクライアントと、
森の大屋根のクライアントも合流して
夜を共に過ごし
ここで2度目の朝を迎える。
気がついてみたら、
今年もあとわずかになり
今年の目標だった建築と人と自然の関係は
あいかわらず永遠の課題のままで、
一年を振り返るとたくさんの出会いがあり
様々な問題に
直面していたように思う。
何かが生み出されるために
必要なものは何だろう。
どんなにささやかなことであっても
「何かを生み出す」ことを職業とするということは、
「他者と異なる」ことの不安と覚悟とは表裏一体だ。
どこにも寄りかかれる場所はない。
だれも助けてはくれない。
初めのピュアな志をくじかれる機会は
ほとんど毎日のように訪れる。
他の人たちが
確かな道を進んでいるように見える中で、
自分だけが
取り残されていくような気持ちに
日々つきあわされる。
けれどもそう思いながらも、
当たり前の日常や
常識の中で身体で感じたり、
疑問に思ったりすることで、
いつか不意に
何かが生まれているものなのだと
思うこともある。
土はなんと自由なのか。
鉄はなんと重たいものか。
野芝はなんと優しいのだ。
朝はなんと清々しいのだ。
夜はこんなに闇だったのか。
日常の常識や知識が
身体に体当たりしてくる。
頭だけでは考えられない。
手が考え、足が考える。
素直に身体が答えを出す。
何かを生み出すと同時に
身体が答えを出し、
その答えが少しずつカタチになった反面、
振り返ってみると
一人で突っ走っていたような、
てんでんばらばらな一年でもあった。
来年は想いを共有出来る人たちと、
同じ方向を向いて
一緒に走っていくことがさらに
「何かを生み出す」ことに
つながっていくのではないだろうか、、、
それではみなさん、良いお年を!

特別な景色でなくても
建物が建ってない風景が
美しいなぁって思うことがある。
そんな時どうやって
建物を風景に溶け込ますかを
必死になって考える。
一方で、
断固として自分のデザインを
主張したいとも考えたりする。
余程のことがない限り
特別に美しい環境に建築することもない。
だからほとんどが
美しい景色をつくろうと
考えるようになる。
屋根のデザインも
その一つではないかと思う。

徳島市の「勝占の家」は
背景の連なる山々と屋根を連続させた。

倉敷市児島の「味野の家」は
軒を深く低くすることで
入り組んだ町に
空を取り込む風景をつくった。
餅まきをすることで
たくさんの笑顔があり、
人がいきいきとし、
かつての風景を
取り戻すことも出来たんじゃないかと思う。
草屋根の家のクライアントと
味野の家のクライアントが
楽しそうに話している風景を見るだけで
幸せな気持ちになった。
草屋根の家のTさん、
遠いところありがとうございました。
味野の家のOさん、
最近あまりすることのない餅まきを
経験させていただき
ありがとうございました。

