ケンチクノコト」カテゴリーアーカイブ

会食


「望海ヶ丘の家」
 
 
この連休は「望海ヶ丘の家」のオープンハウスと、
「南国の家」の地鎮祭。
 
キリスト教式で行われ、
地の霊を鎮めるという考え方ではなさそうなので、
起工式という。
 
前日には両クライアントと会食。
 
品の良いお店で
落ち着いた大人の会食だった、
はず。
 
クライアントから
「カラオケに行きましょう!」と。
 
そんなに好きでないカラオケだけど、
栗焼酎「ダバダ火振り」のせいで
猫なで声ですばやく対応してしまう。
 
曇り空の高知も、
こうなればすっかりパラダイス。
 
案の定次の日の起工式での賛美歌を、
ガラガラ声で歌っていたのは
言うまでもない。
 
ヤレヤレ。

まだ見ぬ国


エステの現場。
 
クライアントに難聴気味のボクの耳に
オイルを流し込まれる。
 
効果があれば、
言うことを聞かないムスメの耳にも
流し込んでやるか。
 
 
 
愚痴ったり、
悲観してばかりいたり、
しらけていたり、
手をこまねいて机上の空論を
コネくり回してばかりは沢山だ。
 
フィクションはノンフィクションに
超えられるのが現実だけれど、
全力を尽くして
その環境をくぐり抜けていけば、
きっとまだ見ぬ国への道を見つけることが
出来るのではないだろうか。
 
と、前回のブログを反省し、
そのまだ見ぬ国「黄金宮殿」へ
初めて足を踏み入れた。
 
KARANのオーナーとスタッフと、
焼き肉で打ち上げ。
 
マッコリがボクをまだ見ぬ夢へと誘い、
オーナーはお店のソファーでよく見る朝を
気持ち悪く迎える。
 
こんな日もあっていい。
 
こんなことをしながら
スタッフには竹のごとくしなって
平気で復元するような資質を育ててほしい。
 
そして、今のハードスケジュールを
突破してくれと思うばかりである。
 
楽しみなさい、設計を、
と、そのことに尽きる。
 
1006-城南町03

マッコリを染み込ませたまま
徳島「城南町の家」配筋検査
 
1006-塚ノ原03

「塚ノ原の家」
この窓の向こうは、
まだ見ぬ国があるやもしれぬ、、、

眠っては考える

↑「望海ヶ丘の家」
10月6、7日にオープンハウスの予定。
ご興味のある方は
是非ご一報ください。
追ってご連絡致します。
 
 
 
最近は車での移動距離は異常で、
サービスエリアで仮眠を取りながら
諸々を考える。
 
お陰様で考えては眠り、
眠っては考えている。
珍しく考える人なのである。
 
気がついてみれば
最近は毎日のスケジュールが一杯で
セコセコ動いてばかりの日々である。
 
それなりに
充実しているような気分になりやすいのだが、
用心しないと何も残ってないことに
なりかねない。
 
残ったのはこの日記だけなんて
悲惨なことになりかねない。
 
しかし建築の設計という仕事は
雑用のカタマリだな。
 
この雑用が集積して
一個の造形物に
立ち上がると理解しても
良いくらいだ。
 
0925塚ノ原

「塚ノ原の家」
 
0925南国

「南国の家」の敷地が露になった。

コノ人物の感性


窓のデザインについて、
アル人物との電話のやりとりは
何時間にも及ぶ。
 
 
今日は高知市内で計画中の
ある店舗の解体工事。
 
ご縁があり仕事をさせていただいている。
 
工期があまりない中、
工事を請けてくれた
コノ人物の感性を信頼しているので、
内心嬉しく楽しみなのだけれど、
 
コノ人物の長電話に対しては
仏頂面をして聞かないと
 
電話代がいくらあっても足りない。

アンビバレント

週末は愛媛・今治で営業活動。
時間があったので今治城を見る。
 
これは日本の城郭に例を見ない水城であった。
 
 
瀬戸内海に面して地の利を利用して
城の一角に船だまりを設けている。
 
発想がユニークだし、
地盤が悪いであろう海岸に
城を築く技術も見事である。
 
この城を築いた藤堂高虎は
政治家・武将としても一流であったが、
軍事技術者・建築家としての腕も
超一流であったらしい。
 
武将にして建築家であった藤堂高虎は
「戦争と文化」
「機能と美」の
アンビバレントを再統一しようとした。

隣の芝


木工職人の二宮くんが作った「まなイス」。
その上にある包丁は義父が作った包丁。
 
 
体力を目一杯使い切っていて
危険なのは自覚できているが
制御する術を知らない。
 
少しずつ不眠不休の波も小さくなり
久しぶりにコレを書くことができた。
 
これも、クライアントとその弟さんとが
僕の体を指圧し、矯正し、
隅々まで観てもらい
この危険な状態を制御する術を
教えてくださったおかげである。
 
ありがとうございました。
 
 
ということで
ここ最近の行動を紹介していきます。
 
 
「35坪の細長い敷地の家」
ひとつながりになりながら
棟がずれていく雁行型平面は
数寄屋や書院に多く見られる。
大きさの異なる部屋と部屋が連結し
雁行する平面では、
互いの空間が向かい合ったり
離れたりしたりして
居場所をつくっていく。
 
「庫裏改築計画」
石段を上がっていくと菩提寺があり、
庫裏はその横に隣接する。
床面の段差やズレは体に直接訴え、
天井面のズレは視覚的に訴えかける。
通り土間の視線の先を低く抑えたり
高く吹き抜ける天井面のズレに対して
人は立ち止まり
静かにその空間に身を委ねる。
レベル差や階段などの床面のズレに対し、
人は躍動感を覚え、
より立体的な空間が生まれるだろう、、、
 
「超ローコスト住宅」
無理を承知で引き受けたことだけど、
可能性はないことはない。
無理を通して実現するのには
異常な努力が必要である。
これはクライアント、
工務店、設計者共に同じ想いである。
 
 
敷地の大きさ形状、予算。
これらは設計に最低限必要な諸条件。
コレを見比べるだけでも
軽やかで自由に見えることもある。
隣の芝はいつも緑に見えやすい。
 
でも、芝は芝で手入れが大変なのである。
 
 
11日~16日までお盆休みをいただきます。
 
これでムスメの危険な状態を回避できるでしょう。

缶詰状態


「南国の家」のクライアントの紹介で
予約していただいた部屋の坪庭。
 
なかなか予約できなかった中、 
クライアントとパシフィックホテルの支配人に
御礼申し上げます。
 
またクライアントから高知のお酒までいただき
頭が下がる思いです。
 
 
 
先日の80坪近くの二世帯住宅と
昨日の14坪の住宅のプレゼンを終える。
 
まずまずの滑り出し。
 
お盆までにあと二件のプレゼン。
 
 
何も浮かばない日々が流れているような気がして
不安に包まれることがある。
 
ま、不安は不安として危機感に育てながら
やっていくしかない。
 
 
 
今日は、「南国の家」の実施見積りの打ち合わせの後、
高知市内のホテルで缶詰状態。(仕事をする自分)
 
「南国の家」のクライアントにいただいたお酒を
缶詰に持ち込もうと思ってみるが(飲みたい自分)
 
コレはコインの裏表みたいなモノで、
双方ともに同時に陽が当たるコトはまずないので
持ち込むのをやめることにする。
 
手を動かしているうちに、
手が描いてしまう偶然の重なりの中から
アイデアが生まれてくることがある。
 
まして、5年の前のスケッチの上に
重ねてスケッチするのだから
5年という時間の隔たりも味方してくれる。
 
いくつかのアイデアを得る。

模型


これは小学校2年生の娘が
学校で作った工作で、
トイレットペーパーの芯で作った建築。
 
坂茂を彷彿させる。
 
 
お盆前までにいくつかのプレゼン、
いくつかの模型をつくらなければならない。
 
模型を眺めたり、作ったりしていると、
子供の頃に自分自身をコビトのように小さく想像しながら、
積み木やミニカーやブロックで遊んだことを思い出す。
 
子供はいつでも自分を小さく想像することで、
「小さな世界」で遊ぶことができる達人だと思う。
 
精巧な模型でも、
子供が作った模型でも、
大きなものを小さくすることに
愛情の表現を見出すことが出来る模型を
作っていきたいです。
 
と、言いながら大雑把な技量を持つスタッフを
慰めているわけではありません。
 
0719-紙の教会

坂茂が設計した「紙の教会」