
ドタバタの毎日で
しばらくアップできませんでしたが、
楽しみにされている方もいらっしゃるので
まとめて報告します。
「母屋の日当たりを考慮しつつ我が家にも光が入るように計画された平屋の家」
の地鎮祭でした。
母屋の南の庭に計画されたため、
母屋に対していかに光を取り入れるか、
もちろん南側にめいっぱい計画された
平屋の家の方にもです。

ドタバタの毎日で
しばらくアップできませんでしたが、
楽しみにされている方もいらっしゃるので
まとめて報告します。
「母屋の日当たりを考慮しつつ我が家にも光が入るように計画された平屋の家」
の地鎮祭でした。
母屋の南の庭に計画されたため、
母屋に対していかに光を取り入れるか、
もちろん南側にめいっぱい計画された
平屋の家の方にもです。

計画地の周囲は豊かな自然が残されていて、
敷地の奥に計画された隠れ家のようなこの家は
広い敷地を生かし
一部の部屋を除いては
そのほとんどを平屋に抑えた形になっている。
夏の暑さと激しい雨に対しては深い庇を覆った。
つまり強い日差しを遮り、
雨から守る葉っぱの骨格から出来たような屋根の構造が
居場所を作ってくれた。
日差しが作った外部であり、
雨の作った内部である。
庇の奥行は外部と内部の関係を豊かな環境にし、
環境と家人の居場所を結ぶきっかけになるだろう。
高知県四万十市で設計監理を進めてまいりました
「安並の家」が竣工しました。
クライアントのご厚意によりオープンハウスを行います。

家具を確認するため
さぬき市にある二宮くんの家具工場へ向かった。
おにぎり型というか豆型というか
図面では表現しきれない形を口で説明する。
それが家具職人にとって良いのか悪いのかはわからない。
図面を見てその通りにつくるより
その方がきっと血が通ったシロモノになるに違いない。
19Φの鉄の棒を一筆で描いたようなキャシャな脚は
歪な形をした天板を支えることとなる。
クライアントのご厚意で来月行われる予定の
安並の家のオープンハウスには
この家具も見れるかも、、、
予約制なのでご興味のある方はご連絡ください。
連絡先は
info@k-tenk.com
です。
中村の大自然な山のふもとの広大な敷地から
いきなり驚くほどの唐突さで
舞台を南の島に移さなくてはならない。


「草屋根の家」の地鎮祭。
祭壇に供えられたお供え物の品々は
色鮮やかで豊富、
そしてデフォルメされたものに囲まれる。
当初、屋根に草を植えるつもりはなかった。
シンプルに無駄なく
素直な家にするつもりだった。
それは限られた予算があったから。
「へんなことはしませんから。」
と安心させようとしたら、施主は
「少しくらいなら。お任せします。」
この一言が運命の分かれ道。
とにかく施主と設計者が
あれこれイメージをふくらませているうちに
屋根の上に上がりたいという、
施主の欲望までもが溢れかえっていた。
屋根の上に草を植えることを通告した時も
施主に動揺は見えなかった。
「じゃあ壁は土壁で。」
と施主から提案してくるくらい
楽しみながら今は時を待っている。

棟上げ後の「CSH」
1945年『アーツ・アンド・アーキテクチュア』誌の編集長は、
戦後の特需に備えた最新技術を用いつつも
実用的な新しい住宅モデルの制作を依頼した。
これは後に、
「ケース・スタディ・ハウス」
と呼ばれることになり、
世界的に注目されるようになる。
クライアントの要望の1つであった
「ケース・スタディ・ハウスのような、、、」
を意識しすぎて
フォトジェニックな建築にならないように
おおらかで、
健やかな信頼と
若々しい野蛮さが
継承していくような建築にしていかなくてはならない。

先日は「草屋根の家」の請負契約でした。
来年、工事が始まります。
昔、と言ってもそんなに古くない昔。
女性のほとんどは職人であった。
上手下手があるにせよ誰もがそれぞれに特技を持っていた。
子供を育てるのが上手な人。
片付けるのが上手な人。
洗濯が上手な人。
料理が上手で漬物の達人だったりとか、、、
生活の達人が街にはいた。
みんなそれが当たり前のように
平然として上手であった。
それこそ夜なべをして手袋を編んでくれたりもしただろう。
それがいつの頃からか
生活の達人としての女性が姿を消してしまった。
消えていたはずだった。
ところがいた。
現代の職人女性が。
この家に住みたいという気持ちが
模型になって現れた。
この模型以上のものを
家らしい家ではなく、
それは人間がかつて住んでいた洞穴のような場所。
そんな住みかを来年はカタチにしていきたい。

12月9日(水)から13日(日)まで
倉敷市立美術館で展覧会をしています。
慌しい師走の風が吹き荒れていると思いますが
是非ご来場お待ちしております。
ちなみに私は11日の午後と13日に待機してます。
私の展示物は下に綴ってあるコンセプトに目を通してから
見たほうがわかりやすいと思います。
§
普段の生活の中で人々に建築が意識されることは
少ないのではないかと思う。
この建築はよく出来ているなとか、
これはなんて新しい考え方の建築だ
なんて感じながら街ゆく人はいない。
道路や橋を便利に使うように
建築も使われることがほとんどではないだろうか。
建築を設計する人が建築家だけど、
世の中では設計士さんとか建築士さんと呼ぶ。
建築を設計する人の中には小説家や画家や評論家と同じように、
もしかしたらそれ以上に文化や芸術的な価値を求めて
建築を考える人がいるかもしれない。
それが建築家なのかもしれない。
建築家は一所懸命に文化を考え続ける。
人々が求めないことまでわざわざ踏み込んで設計する。
頼まれもしないのに考え続け設計する。
うっかりしてたらメディアに紹介されたりもする。
メディアの力によってつくられた華やかなイメージと
そのカタチに辿り着くまでの地味なプロセス、
相反する建築家の仕事は延々と回り続ける。

クライアントのご厚意で予約制ではありますが
オープンハウスを行います。
ご興味のある方はメール等にてご連絡ください。
場所:愛媛県今治市
日時:12/12(土)、13(日)
連絡先:info@k-tenk.com

この1ヶ月悪戦苦闘の連続である。
なかなか出口が見えない。
やはり二人では戦力になりそうにない。
少しでも光を一刻でも早く見たい。
そして今日一人新しい戦力が加わった。
廻りに流されずに考えている若者が
関東から縁もゆかりもないこの地へ流れ着いた。
書きながらモノをつくるというスタイルが、
これがわたくしには適してたであろうスタイルが、
違うのではないかと今も不安に思う。
スケッチやエスキスのスピードと展開を
増すことだけでなく、
最小限のスタッフへの伝達方法を
どのような時間の密度をとれば良いのか
あの手この手で
生き生きとさせなければならない。
設計教育には
共通に想定されるべき水準があるはずで
教える方も学ぶ方も
気持ちの中に
その水準は共有されなければならない。
ということでスタッフ二人を連れ、
現場に行き
帰りは閑谷学校に立ち寄り
二人の成長を期待することにした。



1年半前にお引渡ししてから、
写真撮影のために何度足を運び、
何度天候の気まぐれさに振り回されたのだろう、、、
ほんとに撮り終えられるのだろうか、、、
そんな先の見えないボクにクライアントは
「ここまで来たら良い状況で撮りましょう!」
の一言が絶え間ない力を与えてくれた。
展覧会のため、
最後の撮影には立ち会えなかったけど、
今日届いた写真を見て安堵した。
撮影のために休みを調整してくださったり
撮影中の無理な要望も
気持ちよく受けてくださったクライアントのSさん。
そして、遠くまで何度も根気強く妥協せず
足を運んでくださったカメラマンのNさん。
ありがとうございました。
このカットは、夕陽を浴びた軒下の陰影が美しかった写真です。
今日までのプロセスもあると思うけど
良い写真が出来た。
人間を外さずに入れて、
しかもズルズルとした生活臭の嫌味もなく。
人間と建築が5分5分の関係になっている時を撮っている。
自然と建築の関係も然り。
空の状態、雲の姿と建築が良い状態で撮っていて
決して建築だけが主役でない。
人間と自然がいて
その狭間に建築があるという状態が
なんとも美しいですね。