かりそめ」カテゴリーアーカイブ

町おこし


「ゑびすや」
内部が仕上がってきた。
 
 
 
村をおこしたり、
町を元気づかせるのに必要なのは、
道路や、観光施設や、
大規模なショッピングセンターを
つくったりすることじゃない。
 
本当はみんなの気持ちを
寄せ合うことなんじゃないか。
 
 
そして、みんなの気持ちの中に
街の姿を建てることなんじゃないかと、、、
 
ゑびすやの打ち合わせまでに時間があったので、
尾道のあるお店でチャイを飲み
見知らぬ人と話しながらそう思った。
 
 
自分ひとりの時間は砂をかむように、
退屈きわまりなく流れる。
 
砂をかむような現実
誰にも同じ現実を、
他人と、その町で、
少しズラしたスピードや、アングルから見るだけで、
ザラザラがウキウキになることだってある。
 
それは誰にでも出来ることだと思う。
 
 
だからおたがいそうしよう。
 
0404-尾道

尾道の町を歩いていると
映像作家の中島興氏に出会う。

家づくり


今日は「南国の家」のお引き渡しと
高知での営業活動でした。
 
 
 
お引渡ししたクライアントの声や、
会場に来られた方の声を
お聞きしながら
家づくりと言うことを
いつも考えさせられる。
 
家をつくるという行為は
創造的なことだと思う。
 
 
自分の生活の場をこうしたいと思う気持ちは
人の根源的な欲望なのだろう、、、
 
程度の差こそあれ
誰しも抱く想いだと思う。
 
気に入った小物を部屋に置く。
 
花を飾る。
 
家具のレイアウトを考える。
 
庭に草木を植える。
 
それらの延長線上に
家を建てると言うことがある。
 
どうせなら
パッケージ化された
商品としての家を買うよりは、
その楽しみを味わえる
家づくりを勧めたい。

土間椅子


勝手ながら、
クライアントの椅子を
作ることにした。
 
 
 
しかし、デザインしてみれば
極めて観念的空想にふけりがちな
自分であることを感じ
不快である。
 
厄年を過ぎた
40過ぎの夢見がちなオジさんは
いただけない。
 
なぜ頼まれもしないのに
コレを作ろうと思ったのか。
 
商売を考えたからなのか、
新築祝いを差し出さなければならない
負い目からか、
それはわからない。
 
もしかしたら、
 
「変なものを送ってきやがって、
 どこ置きゃいいんだ。
 捨てれば目立つし。」
 
くらいをつぶやかれるのが
関の山かもしれない。
 
しかし、時すでに遅し。
 
今さらやめるわけにもいかないので
二宮くんと
スタッフの力を借り、
ザックリと仕上がった。

寒中見舞い申し上げます


「城南町の家」
スキップフロアを上がった先には、、、
 
0204南国の家

「南国の家」
このブルーシートの向こうには
アナタの知らない世界が広がっているやもしれぬ。
 
 
 
慌ただしかった去年を振り返る間も暇もなく、
今年からは関節の力を
ポキリ、ポキリと抜いて、
脱力していこうと思っていたのに、
年明け早々それとは正反対の行動に
辿り着いてしまい今日に至る。
 
と言うことなので
関節を抜きすぎたわけでもなく、
体調を崩したわけでもなく、
そんなことまで書かない方がいいんじゃないかとか、
正直すぎるとか、
色々なアドバイスをいただき
書く事に思い悩み
筆が止まってしまった、、、
わけでもありません。
 
気まぐれなだけです。
 
営業ツールとして発信している人にとっては
確かに正直すぎるかもしれないし、
もっと自分を飾って
良く見せるものなのかもしれない。
 
まぁ、1ヶ月も休んでしまったけれど、
気まぐれで始めたこの日記は、
自分でも驚く程に長続きしている。
 
コレはコレで自分の生活を客観化出来て、
正直すぎるボクにとっては意味のあることだが、
まだ気持ちのより深いところにあるらしき、
自分でもコントロールし難い部分、
想像力、感性、飛躍力といった部分を
検診することは未だ出来難い。
 
 
ご心配してくださっているクライアントや、
楽しみにしてくださっている読者諸賢、
気まぐれな日記ですが
思い出した時にいつでも覗いてくださいませ。
 
その時は誰も見たことがない世界があるやもしれぬ。

欲望の共同化


昨日しめ縄を作りました。
 
 
まぁ、なんと月日の経つのが早いことか。
アッという間に一年が終わった。
 
 
今年もたくさんの人と出会い、
たくさんの建築を一緒に創ってきた。
 
建築を創るという行為は、
「何かを共にし、創り上げること」
という、欲望の共同化ということと、
とても深く交差している。
 
そこには、「共に創ること」という楽しさが、
本来なカタチで織り込まれているからである。
 
「そこに住む人」
「それを構想する人」
「それを作る人」
 
の欲望が共同化され、
それぞれ異なった方向に発散することなく、
一つに向かって求められているからである。
 
その行為は他のことには換えられない楽しさと
手応えが生まれる。
 
来年も、それぞれの欲望が美しく織り込まれて、
新しい次元を拓くこと。
 
勝つことも負けることも意味を持たず、
 
「私は楽しい」
という思いが
 
「あなたも楽しい」
 
という次元へとうまく接続し、
伝達していくような関係のカタチが
出来たらいいなぁと思っている。
 
(年末なので少し真面目に綴ってみました。)
 
 
それではみなさん、
良いお年を!

気まぐれ日記


この写真は米子出張の帰り、
特急やくもの車窓からの一コマ。
 
 
この何年も続いている気まぐれな駄文に
取り憑かれた読者は少なくない。
 
赤裸々な過去まで
読み戻ってくださっていたりして
なんとも恥ずかしい。
 
でも、そろそろ
「つまるところ、人間にとって建築とはなんだったのだ」
という根元的な問いに答えるべき時が来たようだ。
 
 
などと仰々しく申すわけでもなく、
すでに読者諸賢は、
これまでの話の中に
チラチラと見え隠れした主張を
読み取っているはずである。
 
それだけでは何のことか
よ~わからんという人には
オフィスにいらっしゃい。
 
大歓迎しますから。

静かな水面

ストーブの上に置いているヤカンから
蒸気が出ていて、
事務所の中は心地よい湿度。
 
最近無駄話するヒマもなかったので、
一息入れて他愛もないおしゃべり。
 
 
無理もないが
こんな時代でこの薄暗い通りで
弾むような話は
起きようがないのではあるが、
もうそろそろ来年から
静かな水面に
石を投げ込んでみようかな。
 
徒労と考えるか、
いつか波風が立ってくれると思うか、
それが問題である。
 
と、シェイクスピア風に嘆いてはみる。

眠っては考える

↑「望海ヶ丘の家」
10月6、7日にオープンハウスの予定。
ご興味のある方は
是非ご一報ください。
追ってご連絡致します。
 
 
 
最近は車での移動距離は異常で、
サービスエリアで仮眠を取りながら
諸々を考える。
 
お陰様で考えては眠り、
眠っては考えている。
珍しく考える人なのである。
 
気がついてみれば
最近は毎日のスケジュールが一杯で
セコセコ動いてばかりの日々である。
 
それなりに
充実しているような気分になりやすいのだが、
用心しないと何も残ってないことに
なりかねない。
 
残ったのはこの日記だけなんて
悲惨なことになりかねない。
 
しかし建築の設計という仕事は
雑用のカタマリだな。
 
この雑用が集積して
一個の造形物に
立ち上がると理解しても
良いくらいだ。
 
0925塚ノ原

「塚ノ原の家」
 
0925南国

「南国の家」の敷地が露になった。

アンビバレント

週末は愛媛・今治で営業活動。
時間があったので今治城を見る。
 
これは日本の城郭に例を見ない水城であった。
 
 
瀬戸内海に面して地の利を利用して
城の一角に船だまりを設けている。
 
発想がユニークだし、
地盤が悪いであろう海岸に
城を築く技術も見事である。
 
この城を築いた藤堂高虎は
政治家・武将としても一流であったが、
軍事技術者・建築家としての腕も
超一流であったらしい。
 
武将にして建築家であった藤堂高虎は
「戦争と文化」
「機能と美」の
アンビバレントを再統一しようとした。

信頼関係


9月9日オープンした、美容室「KARAN」
 
 
ボクたちは仕事柄、
評価は最終的なものでしかない。
 
当然いくら良いものだと思っていても、
オーナーがそう思わなければ、
スムーズには進まない。
 
 
だから、最大限の説明をする。
 
しかし、どんな人でも
すべてのコンセプトや
空間を理解することは出来ない。
 
理解できないことを拒絶するか、
信じて受け入れるのか。
 
そこで重要なのが信頼関係。
 
理想は封印している感情を
理論的に表現すること。
 
お互い詩人のように豊かに語ることが出来れば、
信頼関係も図面も必要ないかもしれない。