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欲望の共同化


昨日しめ縄を作りました。
 
 
まぁ、なんと月日の経つのが早いことか。
アッという間に一年が終わった。
 
 
今年もたくさんの人と出会い、
たくさんの建築を一緒に創ってきた。
 
建築を創るという行為は、
「何かを共にし、創り上げること」
という、欲望の共同化ということと、
とても深く交差している。
 
そこには、「共に創ること」という楽しさが、
本来なカタチで織り込まれているからである。
 
「そこに住む人」
「それを構想する人」
「それを作る人」
 
の欲望が共同化され、
それぞれ異なった方向に発散することなく、
一つに向かって求められているからである。
 
その行為は他のことには換えられない楽しさと
手応えが生まれる。
 
来年も、それぞれの欲望が美しく織り込まれて、
新しい次元を拓くこと。
 
勝つことも負けることも意味を持たず、
 
「私は楽しい」
という思いが
 
「あなたも楽しい」
 
という次元へとうまく接続し、
伝達していくような関係のカタチが
出来たらいいなぁと思っている。
 
(年末なので少し真面目に綴ってみました。)
 
 
それではみなさん、
良いお年を!

工業都市


今日は山口出張。
この写真は新幹線こだまの車窓から。
 
 
徳山のこの風景を見ると、
トニー・ガルニエを思い浮かべる。
 
それは、もはや瓶と蓋みたいに
彼と一体になっている代表作
「工業都市」である。
 
数多の夢想家たちの思わせぶりな妄想と違って、
「工業都市」は肉厚なガイドブックだった。
 
そのガルニエが描いた街は、
工業群を取り巻くように、
豊かな自然に優しく見守られているように
配置されている。
 
1221-トニーガルニエ

トニー・ガルニエの工業都市

愛嬌


今治の打ち合わせの途中、
しまなみ海道のSAにて。
 
 
生きていく上で
とても大切な愛とか恋とかを、
学校の授業で教えてくれないのと同じように、
建築教育でも
愛着、愛想、愛嬌
といったものは教えてくれない。
 
 
どんなに良い建築であろうとも、
持ち主や周りから愛されていないものは、
分かってしまう。
 
だからソレは直接的に係る人だけでなく、
なるべくたくさんの人から愛されて欲しいと
心から願う。
 
 
維持が楽で手がかからない、
というのはむしろ危ない発想で、
掃除や手入れが楽しく、
未来の子供たちにも残していきたい、
と思えるような
建築や街を作っていきたい。
 
1220-模型

愛嬌のあるモノが出来そう、、、
スタッフが目をこすらせながら作った
「今治の家」と「一ツ橋の家」のスタディ模型

心地良い場所


「塚ノ原の家」のリビング
夏には花火が見えるらしい、、、
 
 
週末は、クライアントのご厚意で
予約制でしたが高知「塚ノ原の家」の
オープンハウスをさせていただきました。
 
寒い中、また遠くからのご来場
ありがとうございました。
 
なんとなく雰囲気を伝えることが
出来たんじゃないかと思います。
 
 
 
砂浜にパラソルを立てる時、
どこに立てるか。
 
花見の時はどこに陣取るか。
 
人は本能的に居心地の良さそうな場所を
嗅ぎ取る嗅覚がある。
 
設計の際にも設計者としての色眼鏡をはずして、
本能的な嗅覚をとがらせて、
敷地と対峙すべきだと思う。
 
敷地のどこが一番心地良い場所になるのか。
 
自分の持つ皮膚感覚を大切にして
設計に取り組まなければならない。
 
もちろんこの家の心地良い場所はここ。
他にももちろんあるけどここかな。
 
 
すぐ帰る人。
つい長居してしまった人。
いろいろ質問してくる人。
まな椅子が欲しいと言う人。
 
反応は様々。
 
 
 
以前、内藤廣の本に書いてあったことをフと思い出した。
 
「デザインとは翻訳すること」だと言う。
 
デザインはモノとヒトとをつなげるための道具。
モノとヒトとのコミュニケーションを支えるもの。
 
そういう仕事をしていきたいとフと思った。
 
1212-南国の家
↑「南国の家」
南北に抜ける風が気持ちいい。

余剰の力

相変わらずあっちに行ったり
こっちに戻ったりの生活で、
いささか頭もカラダも浮遊している。
 
先日は「塚ノ原の家」の引渡しでした。
 
 
こんな生活なので昼食は決まって車内で
運転しながらのおにぎりとお茶。
 
何故かこのメニューが
定番になりつつある。
 
ヤバイぜコレは。
 
おにぎりとお茶では
どうにも余剰の力は出ないよ。
 
それを察したのかどうかは分からないけど、
引渡し後の会食で
クライアントに焼肉をご馳走になる。
 
 
コレで力も溢れ出て、
残りわずかな今年も
乗り切れるでしょう。
 
ありがとうございました。

気まぐれ日記


この写真は米子出張の帰り、
特急やくもの車窓からの一コマ。
 
 
この何年も続いている気まぐれな駄文に
取り憑かれた読者は少なくない。
 
赤裸々な過去まで
読み戻ってくださっていたりして
なんとも恥ずかしい。
 
でも、そろそろ
「つまるところ、人間にとって建築とはなんだったのだ」
という根元的な問いに答えるべき時が来たようだ。
 
 
などと仰々しく申すわけでもなく、
すでに読者諸賢は、
これまでの話の中に
チラチラと見え隠れした主張を
読み取っているはずである。
 
それだけでは何のことか
よ~わからんという人には
オフィスにいらっしゃい。
 
大歓迎しますから。

静かな水面

ストーブの上に置いているヤカンから
蒸気が出ていて、
事務所の中は心地よい湿度。
 
最近無駄話するヒマもなかったので、
一息入れて他愛もないおしゃべり。
 
 
無理もないが
こんな時代でこの薄暗い通りで
弾むような話は
起きようがないのではあるが、
もうそろそろ来年から
静かな水面に
石を投げ込んでみようかな。
 
徒労と考えるか、
いつか波風が立ってくれると思うか、
それが問題である。
 
と、シェイクスピア風に嘆いてはみる。

建築って何ですか?


後輩が寝ずに?手伝ってくれた、
高知・幸町の家の
ダンボールで作ったスタディ模型。
 
 
先週の木曜日から月曜日にかけ、
高知・香川・徳島で行ったり来たりの打ち合わせ。
 
体力は底を打っていたが、
どうやらクライアントのマッサージで
明らかに上向いている。
 
調子に乗らずにグデグデと復調したい。
 
 
慣れない街を一人で歩いていると、
ポツンと一人取り残されたようで
よりどころがなく、
居心地が悪く感じることがある。
 
こういう仕事に就きその経験を思い起こすと、
建築をつくるというのは
場所をつくるということではないかと思う。
 
よりどころのない環境に、
頼りになる境界をつくり、
溜まり落ち着ける場所をつくること。
 
それが建築をつくる原始的な意味なのだろう、、、
 
たとえば誰もいない砂浜で、
ビーチパラソルを立てる。
 
たった1本の柱とわずかな日影が出来るだけで
人はそこを自分の居場所と認識し、
そして自然に人が集まる。
 
「建築空間のはじまり」ともいえる、
そんな原初的な心地よさがある場所を
つくっていきたいです。
 
「テンキュウさんがつくっている建築って何ですか?」
の問いに対し、
馬路村のリップクリームで
長々と滑らかに真面目に答えることが
出来たんじゃないかと思いますが、、、
 
どうですか?
 
 
ケンちゃん?
 
1105-リップクリーム

クライアントにいただいた
馬路村のリップクリーム。
これでボクのクチビルは潤い
滑らかになるでしょう。
だからといって
口で仕事が増えることはないでしょうけど、、、

二人三脚


店舗のエントランス
 
 
このところ慌しく、
ほとんど足が地に着かない感があった。
 
「10月はたそがれの国」という
短編小説があるように
10月はメランコリーな幻想ばかりを
生み出しやすい季節の代表である。
 
用心しなくては。
 
 
 
週末は本当に良い休息であった。
 
天の配慮だろう。
 
休みをとらせていただいたという事は
まだまだやることがあるぞ
という事かもしれない。
 
仕事が休息であるようなことが
理想なのだろう、、、
 
ということでこの休みは
「幸町の家」のプランを考える。
 
 
二人三脚のように進めてきて、
無事お引渡し出来た店舗。
 
二人三脚のもう一人のコノ人物は
俗世間でいうところの
優秀な要領の良い人間ではなく、
ゆっくりと耐えて、
あきらめない人間である。
 
是非またご一緒したい。
 
お疲れ様でした。

会食


「望海ヶ丘の家」
 
 
この連休は「望海ヶ丘の家」のオープンハウスと、
「南国の家」の地鎮祭。
 
キリスト教式で行われ、
地の霊を鎮めるという考え方ではなさそうなので、
起工式という。
 
前日には両クライアントと会食。
 
品の良いお店で
落ち着いた大人の会食だった、
はず。
 
クライアントから
「カラオケに行きましょう!」と。
 
そんなに好きでないカラオケだけど、
栗焼酎「ダバダ火振り」のせいで
猫なで声ですばやく対応してしまう。
 
曇り空の高知も、
こうなればすっかりパラダイス。
 
案の定次の日の起工式での賛美歌を、
ガラガラ声で歌っていたのは
言うまでもない。
 
ヤレヤレ。