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地方での設計活動

↑ 愛媛の打ち合わせの後に
 寄り道した内子座
 
 
先週から愛媛の西予と大洲、
高知・四万十の敷地調査に始まり
土日は営業活動。
 
週明けは四万十市の庫裏建て替え計画に伴う
役所廻りと敷地の測量。
 
0528-沈下橋
 
↑ 四万十川の沈下橋
 
地方で設計活動することについては、
次回発売されるモダンリビングで
窪田さんと対談させていただいてますが、
それについてはとりあえず据置いて、
今は轟音をたてて
一直線に突き進んでいる感じ。
 
 
どうやら私の器量には
戸惑わず乗り切ってゆく控えめな図太さと、
沈殿しているストレスを感じることのない
鈍感さを兼ね備えているみたい。
 
0528-四万十川
 
↑ 四万十川
 
でも何かしらの
センチメンタル・ジャーニーの旅を求め
少し遠回りしてみた。

↑ 22坪の変形地に建つ
 「15坪の家」の
 地鎮祭でした。
 
 
小さな空間を考えるとき
「奥」と言うことが頭に浮ぶ。
 
特に日本人は常に「奥」を想定し、
「奥」という概念を設置することによって、
比較的狭小の空間をも深化させることを
可能にしてきた。
 
 
 
「奥行」なる概念は、
与えられた空間の中での
相対的距離であり
距離感である。
 
濃密な空間体系は規模ではなく、
むしろ「奥行」のような空間構造の
軸の多さによって規定される。
 
「奥行」を考えることでの小さな空間も
豊かな空間になるのではないだろうか、、、

10周年

日本昔話に出てくるような
連続する四国の山々を楽しんでいると
ウツラトロリとしてくる。
 
フロントガラスまで歪み始め、
高速道路がほの暗くなり、
時間も歪み始める。
 
面白がって良いものか、
それとも本当は不安なのか、
それすらも定かでない。
 
分かっているのは、
先週の金曜日に結婚10周年だったってこと。
 
お祝いをいただいたクライアントと
スタッフにお礼を言う。
 
0519-祝い
 
0519-鳥取
↑ 鳥取の地鎮祭の帰り道。

足場撤去

↑ ゑびすや、全貌が見える。
 
足場が外れた。
 
想定していたよりも
少しキレイに仕上がったような気がするけど、
この予算内でうまくいったと思う。
 
 
あんまり、ツルツル、ピカピカ
キレイに仕上がっては困る。
 
これから外構工事に入る。
 
矛盾に満ちた、不連続な仕上がりを
アノ人に期待するしかない。

対談

先日、とある雑誌で連載されている
対談の取材があり、
私なりに充実した一日であった。
 
この対談は今後作っていく建築に
変化をもたらすかもしれない。
 
 
まぁしかし肉声で対面して話し合うのが
一番ハードである。
 
声の質量、
眼の光、
身振りなどが総合したコミュニケーションは
快楽であり、
戦いである。
 
コテンパンだったけど、
忌憚なき意見を聞くことが出来て
少しづつ確信は芽生えてきた
か?
 
人は生きていく過程で、
いろいろなことに左右され、
出鼻をくじかれ、
変わることを強いられる。
 
でもどこかで変わらないことの安心も望んでいる。
 
しかし人も、人を取り巻く環境も、
諸行無常、全く変わらないものはない。
 
気持ちの命じるままに動こう。
 
 
「多肥の家」のHさん、
関係者の方々、
そして窪田さん、
 
貴重な時間、ありがとうございました。

納車2ヶ月

80歳のおじいちゃんが作るフレームが
やっと出来た。
 
未完のままに終わるかと覚悟していたのだけど、
天は見捨てなかった。
 
人間の力をまずは信じよう。
 
買うこと作ることの意味を確かめるため、
自転車を組み立てる。
 
4月ももう終わるけど、
残りの春は快適な自転車通勤で楽しめそう。

町おこし


「ゑびすや」
内部が仕上がってきた。
 
 
 
村をおこしたり、
町を元気づかせるのに必要なのは、
道路や、観光施設や、
大規模なショッピングセンターを
つくったりすることじゃない。
 
本当はみんなの気持ちを
寄せ合うことなんじゃないか。
 
 
そして、みんなの気持ちの中に
街の姿を建てることなんじゃないかと、、、
 
ゑびすやの打ち合わせまでに時間があったので、
尾道のあるお店でチャイを飲み
見知らぬ人と話しながらそう思った。
 
 
自分ひとりの時間は砂をかむように、
退屈きわまりなく流れる。
 
砂をかむような現実
誰にも同じ現実を、
他人と、その町で、
少しズラしたスピードや、アングルから見るだけで、
ザラザラがウキウキになることだってある。
 
それは誰にでも出来ることだと思う。
 
 
だからおたがいそうしよう。
 
0404-尾道

尾道の町を歩いていると
映像作家の中島興氏に出会う。

家づくり


今日は「南国の家」のお引き渡しと
高知での営業活動でした。
 
 
 
お引渡ししたクライアントの声や、
会場に来られた方の声を
お聞きしながら
家づくりと言うことを
いつも考えさせられる。
 
家をつくるという行為は
創造的なことだと思う。
 
 
自分の生活の場をこうしたいと思う気持ちは
人の根源的な欲望なのだろう、、、
 
程度の差こそあれ
誰しも抱く想いだと思う。
 
気に入った小物を部屋に置く。
 
花を飾る。
 
家具のレイアウトを考える。
 
庭に草木を植える。
 
それらの延長線上に
家を建てると言うことがある。
 
どうせなら
パッケージ化された
商品としての家を買うよりは、
その楽しみを味わえる
家づくりを勧めたい。

土間椅子


勝手ながら、
クライアントの椅子を
作ることにした。
 
 
 
しかし、デザインしてみれば
極めて観念的空想にふけりがちな
自分であることを感じ
不快である。
 
厄年を過ぎた
40過ぎの夢見がちなオジさんは
いただけない。
 
なぜ頼まれもしないのに
コレを作ろうと思ったのか。
 
商売を考えたからなのか、
新築祝いを差し出さなければならない
負い目からか、
それはわからない。
 
もしかしたら、
 
「変なものを送ってきやがって、
 どこ置きゃいいんだ。
 捨てれば目立つし。」
 
くらいをつぶやかれるのが
関の山かもしれない。
 
しかし、時すでに遅し。
 
今さらやめるわけにもいかないので
二宮くんと
スタッフの力を借り、
ザックリと仕上がった。

寒中見舞い申し上げます


「城南町の家」
スキップフロアを上がった先には、、、
 
0204南国の家

「南国の家」
このブルーシートの向こうには
アナタの知らない世界が広がっているやもしれぬ。
 
 
 
慌ただしかった去年を振り返る間も暇もなく、
今年からは関節の力を
ポキリ、ポキリと抜いて、
脱力していこうと思っていたのに、
年明け早々それとは正反対の行動に
辿り着いてしまい今日に至る。
 
と言うことなので
関節を抜きすぎたわけでもなく、
体調を崩したわけでもなく、
そんなことまで書かない方がいいんじゃないかとか、
正直すぎるとか、
色々なアドバイスをいただき
書く事に思い悩み
筆が止まってしまった、、、
わけでもありません。
 
気まぐれなだけです。
 
営業ツールとして発信している人にとっては
確かに正直すぎるかもしれないし、
もっと自分を飾って
良く見せるものなのかもしれない。
 
まぁ、1ヶ月も休んでしまったけれど、
気まぐれで始めたこの日記は、
自分でも驚く程に長続きしている。
 
コレはコレで自分の生活を客観化出来て、
正直すぎるボクにとっては意味のあることだが、
まだ気持ちのより深いところにあるらしき、
自分でもコントロールし難い部分、
想像力、感性、飛躍力といった部分を
検診することは未だ出来難い。
 
 
ご心配してくださっているクライアントや、
楽しみにしてくださっている読者諸賢、
気まぐれな日記ですが
思い出した時にいつでも覗いてくださいませ。
 
その時は誰も見たことがない世界があるやもしれぬ。