
変化を導き入れる素材に水や緑などがあります。
音を立て噴出し流れ落ちる泉、
光を反射させる静寂な湖、
影を映し出すしゆらめく水面など
水は多様な変化をもたらします。
また植物も風にそよぎ、
天候の移り変わりにより木陰を作り出し、
四季折々色を変え、
年を経て成長することまで繰り返しながら
質の変化を空間に与えます。


その土地にある
人々の用のために生み出されたものは
特別なものではなく、
その場所がもつ歴史や
人の力などによってつくられ、
今も愛されているものが多くあります。
生活の用のために実直に作られているせいか
健康で平穏な美しさや風格が
自然に備わっているような気がします。

デザインの始まりには
紙とエンピツを使い手を動かして考える。
スケッチによって描かれた線は、
不要な情報が省かれ
思い描くコンセプトが
ストレートに表現されたものである。
そして唯一CAD上でコーナー処理されなかった曲線が
玄関へと誘う。

仕事というものは奇妙な動きをするもので、
自分だけの思惑を外れたところで
思わぬ受け止められ方をして、
独り歩きするものもあれば
そうでないものもあることを知る。
「Thisispaper/上平良の家」
「LEIBAL/屋島の家」
「journal du design/上平良の家」
「homify/東山崎の家」
「homify/天城の家」
「houzz/森の大屋根」

遠回りしながらも
やっとスタート地点に立った、
って感じです。
これからクライアントと施工者、
設計者の3者で作っていきます。
将来に向けてのプロジェクトは流動的です。
途中で計画の変更を余儀なくされることもあります。
場合によってはプロジェクトの目指す先が
大きく変化してしまうこともあるでしょう。
実現していく過程で失われてしまうかもしれないアイデアが
まだどこかにラフな状態で内在していると思います。
またラフな関係で出会えることを楽しみに、、、

「草屋根の家」の地鎮祭。
祭壇に供えられたお供え物の品々は
色鮮やかで豊富、
そしてデフォルメされたものに囲まれる。
当初、屋根に草を植えるつもりはなかった。
シンプルに無駄なく
素直な家にするつもりだった。
それは限られた予算があったから。
「へんなことはしませんから。」
と安心させようとしたら、施主は
「少しくらいなら。お任せします。」
この一言が運命の分かれ道。
とにかく施主と設計者が
あれこれイメージをふくらませているうちに
屋根の上に上がりたいという、
施主の欲望までもが溢れかえっていた。
屋根の上に草を植えることを通告した時も
施主に動揺は見えなかった。
「じゃあ壁は土壁で。」
と施主から提案してくるくらい
楽しみながら今は時を待っている。

あけましておめでとうございます。
年始は実家に帰ったり、
家の近くの後楽園付近をムスメと散歩しながら、
のんびりさせていただいてます。
昨年はいくつかの家のお手伝いをさせていただきました。
建築の善し悪しは姿形や平面計画の合理性ではなく、
そこで暮らす人たちがどんなふうに変化し
成熟するかにあると思います。
特に住宅は。
もちろんそこに住まう人たちだけではなく
ムスメやスタッフもそうです。
時代に流されない
柔軟な個人に成熟するというのも大事ですし
そうなってほしいと思います。
完成した後の、
そこでの生活を想像しながら
建築できたらと思います。
本年もよろしくお願いいたします。

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あまり見ることのない裏からの岡山城

椅子というヤツは
建築をしている人間にとって
ある種の魔力を持っているようで、
お気に入りを聞けば
その人のデザインの嗜好まで
憶測できたりする。
そのような人の前で
下手に椅子の話なんぞしようものなら、
長々とウンチクをたれられる危険があるので
気をつけた方がいいだろう。
座るという役割を担った物体という以上の存在で
憧れと尊敬する建築家の精神を身近に感じていたい、
という欲求が魔力となって
我々を悩ますのかもしれない。
事務所の椅子がボロボロになったので、
家具職人の二宮くんに作ってもらいました。
これで所長の精神を身近に感じつつも
スタッフも悩みながら
成長していってくれるでしょう。
それでは、良いお年を!