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なぜ屋根に草を、、、

「草屋根の家」の地鎮祭。
 
祭壇に供えられたお供え物の品々は
色鮮やかで豊富、
そしてデフォルメされたものに囲まれる。
 
 
 
当初、屋根に草を植えるつもりはなかった。
 
シンプルに無駄なく
素直な家にするつもりだった。
 
それは限られた予算があったから。
 
 
「へんなことはしませんから。」
 
と安心させようとしたら、施主は
 
「少しくらいなら。お任せします。」
 
この一言が運命の分かれ道。
 
 
とにかく施主と設計者が
あれこれイメージをふくらませているうちに
屋根の上に上がりたいという、
施主の欲望までもが溢れかえっていた。
 
屋根の上に草を植えることを通告した時も
施主に動揺は見えなかった。
 
「じゃあ壁は土壁で。」
 
と施主から提案してくるくらい
楽しみながら今は時を待っている。

CSH

 
棟上げ後の「CSH」
 
 
1945年『アーツ・アンド・アーキテクチュア』誌の編集長は、
戦後の特需に備えた最新技術を用いつつも
実用的な新しい住宅モデルの制作を依頼した。
 
これは後に、
「ケース・スタディ・ハウス」
と呼ばれることになり、
世界的に注目されるようになる。
 
 
クライアントの要望の1つであった
「ケース・スタディ・ハウスのような、、、」
を意識しすぎて
フォトジェニックな建築にならないように
おおらかで、
健やかな信頼と
若々しい野蛮さが
継承していくような建築にしていかなくてはならない。

草屋根ハウス

 
先日は「草屋根の家」の請負契約でした。
来年、工事が始まります。
 
 
 
昔、と言ってもそんなに古くない昔。
女性のほとんどは職人であった。
 
上手下手があるにせよ誰もがそれぞれに特技を持っていた。
 
子供を育てるのが上手な人。
 
片付けるのが上手な人。
 
洗濯が上手な人。
 
料理が上手で漬物の達人だったりとか、、、
 
 
生活の達人が街にはいた。
 
みんなそれが当たり前のように
平然として上手であった。
 
それこそ夜なべをして手袋を編んでくれたりもしただろう。
 
それがいつの頃からか
生活の達人としての女性が姿を消してしまった。
 
消えていたはずだった。
 
ところがいた。
現代の職人女性が。
 
この家に住みたいという気持ちが
模型になって現れた。
 
 
この模型以上のものを
家らしい家ではなく、
それは人間がかつて住んでいた洞穴のような場所。
 
そんな住みかを来年はカタチにしていきたい。

自然と人と建築

 
1年半前にお引渡ししてから、
写真撮影のために何度足を運び、
何度天候の気まぐれさに振り回されたのだろう、、、
 
ほんとに撮り終えられるのだろうか、、、
そんな先の見えないボクにクライアントは
 
「ここまで来たら良い状況で撮りましょう!」
 
の一言が絶え間ない力を与えてくれた。
 
 
展覧会のため、
最後の撮影には立ち会えなかったけど、
今日届いた写真を見て安堵した。
 
撮影のために休みを調整してくださったり
撮影中の無理な要望も
気持ちよく受けてくださったクライアントのSさん。
 
そして、遠くまで何度も根気強く妥協せず
足を運んでくださったカメラマンのNさん。
 
ありがとうございました。
 
 
 
このカットは、夕陽を浴びた軒下の陰影が美しかった写真です。
 
 
今日までのプロセスもあると思うけど
良い写真が出来た。
 
人間を外さずに入れて、
しかもズルズルとした生活臭の嫌味もなく。
 
人間と建築が5分5分の関係になっている時を撮っている。
自然と建築の関係も然り。
 
空の状態、雲の姿と建築が良い状態で撮っていて
決して建築だけが主役でない。
 
 
 
人間と自然がいて
その狭間に建築があるという状態が
なんとも美しいですね。

小さな家もいいもんだ

先日は、
「少し小さな家」のお引渡しと、
「もう少し小さな家」の設計契約でした。
 
それぞれの床面積は
24坪と20坪。
 
 
依頼主はもちろん、
建てる場所、
敷地の大きさや形状、
要望などは違えども
共通して言えるのは
「共生の原理」
それは
「自然と人間」
「内と外」
「光と闇」
などなど、、、
 
 
「ツルツルピカピカはダメです。仕上げは前からそこにあった感じで。」
「個室は要りません。適当にベッドを置きます。」
「開放的に。外から見えてもいいです。目が合った時は手を振ります。」
 
 
依頼主が設計者よりもよほど乗りやすく
また勝手な想像力をたくましくしてしまう場合は、
設計者はただただ大人しく
ニコニコしていればいいのである。
 
そして時に、
それはチョッとやり過ぎじゃありませんか?
なんてうつむき加減につぶやいて
うれしさをかみ殺していればいいのである。
 
0527-小さな家

いくつかの計画案

囲まれた場所に建つ家
 
ここ数ヶ月、プレゼンテーションが続く中、
実態としての建築や計画していると、
大事に育て、力づけようとしてきた夢想が
現実の力に抗いきれずに、
ボロボロに崩れ去って
霧散してしまいそうな体験を度々してきた。
 
もちろん崩れ落ちてばかりではいけない。
 
内からの意思も必要である。
 
他者との戦闘能力は必須なものであるけれど、
やはりお互い内なるものがなければ何もスタートしない。
 
崩れても尚、根気強く続けていられるのは、
その内なるものが
時に他者との遭遇から生み出され、
発酵されるからなんだと思う。
 
また発酵されるいくつかの大事なものが動き出す。
 
cb-01
小さな家
 
ymsk-01
幹線道路に建つ美容室
 
sgw-01
変形地に建つ平屋の家
 
ksk-01
角地に建つ家
 
kn-01
細長い敷地に建つ家

同時開催

↑ 高松市「東山崎の家」平屋の寄棟の家
 
 
0304-妹尾の家OH
↑ 岡山市「妹尾の家」スキップフロアの家
 
 
このたび設計監理を進めてまいりました
「東山崎の家」と
「妹尾の家」が
竣工しました。
 
クライアントのご厚意により
オープンハウスを行います。
 
お時間が許すようでしたらぜひお越し下さい。
 
当日はゆっくりご覧いただけるために
予約制とさせて頂いております。
 
ご予約は下記、
TEL・FAX・メールにてお問い合わせください。
 
現地の場所については
ご連絡いただきました方に
こちらからご案内いたします。
 
 
設計監理:テンキュウカズノリ設計室
岡山市北区丸の内1-13-10-2F
Tel:086-235-5516
Fax:086-235-5517
http://www.k-tenk.com
E-mail:info@k-tenk.com

ハレとケ

この連休は香川高松と岡山倉敷で地鎮祭でした。
 
 
日本の民家にはハレとケ、
言わば表裏の生活領域があって、
白黒の幕を張ることによって葬儀の場へ、
紅白の幕を張ることによって祝祭の場へと
変換する装置があります。
 
 
陽と陰、
生と死、
そしてパブリックとプライベート
といった表裏の概念を媒介するものが
「間」なのだと思います。
 
住居は近代建築の理念を教えるような
単なる部屋の集合ではないのではないか、
って思う瞬間です。