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「建築家のしごと2」を終えて

 
たくさんのご来場、
ありがとうございました。
 
去年から始まり
今年で2回目。
 
少しずつだけど手応えを感じる何かが
去年とは違って見えました。
 
特に建物探訪はお客さんと行動を共にして、
見て、聞いて、感じての反応が間近で伝わった意味では
これからのメッセージを示唆するかのような空気感に
包まれていたような気がします。
 
それは案内人を申し出てくれたトリムデザインさんが
丹下健三が設計した旧倉敷市庁舎の背景を伝えようとする
熱い想いが届いたのかもしれません。
 
 
これからもっとたくさんの人に、、、
という欲が出るかもしれません。
 
でもやはり自分たちがやるべき方向性を見失わないように
徐々につながり広がってほしいと思います。
 
 
共用、共有、共感、共鳴。
 
共にすることはこれからもいろいろあると思うけど、
実はみんなが求めているものはモノではなくて、
時間の共有なのかもしれません。
 
 
写真は、旧倉敷市庁舎の屋上。
今は使われていないけど、
昔は屋上で演奏会などをしていたらしい。

建築家のしごと2

 
12月9日(水)から13日(日)まで
倉敷市立美術館で展覧会をしています。
慌しい師走の風が吹き荒れていると思いますが
是非ご来場お待ちしております。
 
ちなみに私は11日の午後と13日に待機してます。
 
 
私の展示物は下に綴ってあるコンセプトに目を通してから
見たほうがわかりやすいと思います。
 
 
 
§
 
普段の生活の中で人々に建築が意識されることは
少ないのではないかと思う。
 
この建築はよく出来ているなとか、
これはなんて新しい考え方の建築だ
なんて感じながら街ゆく人はいない。
 
道路や橋を便利に使うように
建築も使われることがほとんどではないだろうか。
 
 
建築を設計する人が建築家だけど、
世の中では設計士さんとか建築士さんと呼ぶ。
 
建築を設計する人の中には小説家や画家や評論家と同じように、
もしかしたらそれ以上に文化や芸術的な価値を求めて
建築を考える人がいるかもしれない。
 
それが建築家なのかもしれない。
 
建築家は一所懸命に文化を考え続ける。
 
人々が求めないことまでわざわざ踏み込んで設計する。
 
頼まれもしないのに考え続け設計する。
 
うっかりしてたらメディアに紹介されたりもする。
 
メディアの力によってつくられた華やかなイメージと
そのカタチに辿り着くまでの地味なプロセス、
相反する建築家の仕事は延々と回り続ける。

コートハウス

↑ 「粒江の家」模型
 
 
住宅という日々の生活を送る
日常空間の中にある中庭。
 
それは囲われた安心感と、
外部である不安感が刺激として
調和されている半外部空間になる。
 
 
そこは内部では得られない刺激、
光、風、匂い、
木々の擦れ合う音、
鳥の声などの中で
テーブルを囲み、
友達が集まり、
一緒に食事や会話を楽しんだり出来る
生活をより楽しく出来る+αの一つです。