街づくり」カテゴリーアーカイブ

モータリゼーション

翌日は大衆食堂の移転計画の打合せ。
 
学生のころが懐かしいなんて
甘言は通用しないし、
学生の街とは思えないくらい
この商店街の抱える問題は深刻である。
 
この町の商店街だけでなく、
僕が生まれ育った町の商店街もそうである。
 
 
 
モータリゼーションは
地方小都市の人の動きを
根拠のない形に変えてしまった。
 
その場所の歴史や文化とは関係なく
車は街を走り抜け
町の重心を変えてしまった。
 
商業の中心は移動し、
古い商業の中心は空洞化してゆく。
 
この話が舞い込んできた時には
この商店街を、この街を変えたいと考えた。
 
いささかヒロイックな気分になっていたことは
否めない。
 
いささかどころか、
スタッフと一緒に
肩をいからせていたかもしれない。
 
風塵舞い上がる街にブラリと出現して、
当たるを幸いなぎ倒し、
店主と共に悪いスーパーマーケットを
退治するなんて馬鹿げたことを、
全く考えてなかった
とは言えない。
 
実際、
この商店街がこの店の移転によって
変わるきっかけになったら
誇るだろうの思うくらいの、
そんな絶体絶命の商店街なのだ。

みんなの記憶の中に建築を建てること

土曜日は徳島「城南町の家」の設計契約。
今日は岡山「桑野の家」の地鎮祭と
EBISUYA projectのプレゼン。
 
いろいろな場所で仕事をしてきて、
多くの町と人と付き合いながら
一つだけ理解し始めていることがある。
 
 
気持ちの中に建築を建てることなんだなぁって。
 
幻想や夢の中に建てるってことではない。
 
みんなの記憶の中に直接建築を建てること。
記憶そのもの、知覚そのものを
直接デザインしてしまおうとすること。
 
文化というのはどうやら集団としての
記憶の集積のことらしい。
 
 
異国の地から来て
この場所へ家を建てるクライアントの想いだったり、
ヨーロッパやアジア、
あらゆるところへ旅した店主が
ココに帰るとホッとするのは
自分の記憶の何がしかが
いつもここに棲みついているのを
自覚しているからだろう、、、
 
 
この駅前はそんなに豪華なものではない。
 
それでもどんなに豊かな都市の
どんなにモダンにデザインされた道よりも
はるかに生き生きとした場所になるだろう、、、
 
物語はイヨイヨ突入する。
 
0423-桑野の家地鎮祭