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ファインダー

「屋島の家」
この街を別の視点で、別の角度から、
そして別のスピードや、カメラみたいに
別の明るさのレンズで眺めたら、どうか。
 
つまり、普段使っているカメラとは違うファインダーで眺め直したら、どうなんだろう、、、
 
そんな想いから遠くの山並みや町並み、
森や空のようすを建築を使ってはっきりと見せたかった。
 
遠くを眺める装置になったらと考えたのも確かだけど、
建築も自身も内外を見つめられる。
 
そんなことからも何かを考えるきっかけになってくれたらなぁと思っている。
 
是非足を運んでいただき、ご自身の眼球を内外に向けて頂けたらと思います。
 
クライアントのご厚意で予約制ではありますが
香川県「高松町の家」と「屋島の家」
徳島県「石井町の家」
のオープンハウスを4月にそれぞれ行います。
日程は決まり次第、後日ご連絡いたします。
 
ご予約はメールにてお問い合わせください。
場所についてはこちらからご案内いたします。

左官を考える

「高松町の家」
 

生まれながらの指導者なんているわけでもないが、
どう考えても社長や会長といった言葉は
ふさわしくない人物がいるものだ。
 

いわゆる職人たちはなかなかまとまりにくい連中である。
 
それぞれが手に職を持っているから自主独立の気概がある。
 
勤め人たち宮仕えたちとは反対に群れたがらない。
 
だからこそ「親方」というのはそれなりの風格と貫禄を持っている。
 
そりゃそうだろう。
 
とかく群れたがらない職人たちをまとめていこうというのだから、
余程の気力と器が必要になる。
 
そんな人がいたらお目にかかりたいものだ、
でも現代にはいないだろうなと思ってたけど、いた。
 
丸亀市の左官職人秦さんの紹介でお会い出来た。
 
まさに「現代の職人たちのドン」
と呼ぶにふさわしい人物であってほかの何者でもない。
 
淡路島の左官職人 植田俊彦さんである。
 
建築の工業化により左官職はうとんじられ
ジリジリと後退につぐ後退を続けてきた。
 
そんな中、若い職人たちを引き連れ
古いやり方も残し、新しいやり方も時代にあわせながら
楽しみながらやっている後ろ姿に左官職の未来を感じた。

ユートピア

「どこにもない場所=理想郷」
 

というのはフーリエやブルーノ・タウトらの建築を指すときによく使われるが、
 
固定化したしたイメージを持つからこそ、
そういうくくりにしてしまうことで、
個々の特徴がかえって見えづらくなっている。
 
 

理想の社会を描くことは
建築家の仕事であり本能でもあると思うけど、
ユートピアは与えられるものではなくて、
ふとしたときにささやかに感じては消えてゆく、瞬きのような自覚だと思う。
 
そんなフワフワしたまま設計を始めるべきか否か。
 
自分はいまこの計画に自由に関わっていると思えることや、
制限とすら思っていなかった制限にある日気がついて、
そこから解放されてゆく喜びを感じることが出来ることを期待するしかない。

参拝

四万十市の現場「菩提寺」
 

かねがね
「外に向いた眼球をクルリと内に向けて、心を観ぜよ」
と菩提寺の住職から戒められているわけではないのだけれども、
 
神社仏閣に参拝する折りにはこのように心掛けているものの、
 
内に向けてばかりでは
どんな障害物にブチ当たってこけたりとも限らないので、
 
現場が始まるまでは目ん玉をひっくり返しておこう。

変わること、変わらないこと

緩やかに解体しつつあるとある西の果ての家
 

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岡山市内で再生されている家

 
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さぬき市で再生されている家
その横にはこれから工場が造られていく。

 
 
人は誰でも緩やかに変わりつつある。
自分を時に意識しつつ
変わらなければ、と思いつつ、
なかなか変われなくて悩みつつ生きている。
 
「変わらないこと」の大切さがある一方で、
「変わること」も大切だと思う。
 
どこで変わるきっかけを見つけるか。
 
どこで「死」と「生」のきっかけに出会えるか。
 
家を再生したり、新しい場所に移り住むのも、
新しい「死」と「生」を迎えるということと、
どこか繋がっているような気がする。

建築の神様

「トイレには神様がいる。」
あるクライアントがこうつぶやいて以来時々こんなふうに思うことがある。
 
「建築の神様」みたいなのがいて
僕はその神様に愛されているかな、、、と。
 
たくさんのプロフェッションに関わる人々と同じように
僕もまた、自分の職能に忠実でありたいといつも思っている。
 
もちろんすべてを完璧にできているわけではない。
 
でも、少なくとも自分の出来ることを十分にやりきれていれば、
そのときにはきっと、「建築の神様」に
少しは愛されているかもしれない。
 
かつてルイス・カーンという
それこそ「建築の神様」のような建築家が
すでに亡くなったル・コルビュジェという
建築の巨匠に向かって、語りかけたことがあった。
 
「コルビュジェさん、私の建築はどうでしょうか?」と。
 
もちろんカーンには足もとにも及ばないけど
僕もこんなふうに聞いてみたくなる。
 
建築の神様へ、
僕はどうでしょう?
少しは頑張ってますか?

仕事始め

山の中を散歩。
 

年末年始はゆっくりさせてもらい、心身共にエネルギーを注入しました。
 
時々はあってもいいな。
こういう浮世離れした生活が。
 
ムスメがタカラジェンヌになろうとしているのは、ここだけの話です。
 
明日1月6日から仕事始めです。

 
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宝塚歌劇、創立100周年
気がつくと宝塚大劇場の中に、、、

 
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あけましておめでとうございます

沖縄を始めとする熱帯地方に分布する「ガジュマル」
 

このガジュマルの面白いところは不思議な幹の形です。
 
一般的に幹は自身を支えるために先細りに伸びていくのだけれども
この木はそんな考えを全く無視した幹の形をしています。
 
ガジュマルは幹や枝から髭状の気根を出し、
地中に入ると支柱根となるらしい。
 
つまり幹には自身を支える役割よりも
水分や養分を吸収する役割の方が大きいのである。
 
1ヶ所に根を下ろすよりも少しでも広い範囲で
栄養分を集めようとした結果が
あの神秘的な形状となるのだと思います。
 
昨年は独立して10年。
 
いろんな場所でたくさんの出会いがあり、
多くの方の協力のもと、少しずつですが形にもなり、
今日まで続けることが出来たのではないかと思います。
 
10年という年月は人間にとってみれば
大きいのかもしれませんが、
建築の寿命からすればまだまだ余すところが多いですし、
植物からしてみればこれからだと思います。
 
常に新しい意識を持っていなければ
それらの流れに取り残されてしまう。
 
だからと言って新しいモノばかり追っかけても
建築という長いスパンを考えると安易にデザインも出来ない。
 
そういった意味で、今自分が何を想い
何をつくっていくかということに
長い目で取り組んでいこうと思います。
 
今年もよろしくお願いします。
 
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「名護市庁舎」43年前の建物。
つまり私が生まれた年に竣工した建築物。設計は象設計集団

COLOR

夢のあらかたはモノクロームの世界である。
 
でも時にカラーに見える時があって
ハッと目が覚める。
 
そこは多分現実にある色でなく
どこにもない微妙で
優しい色だったような気がする。
 
 
時に自然の色に
感動しなくなることがある。
 
こちらの感受性が
汚れてるせいなのかもしれないけど、
それだけではないと思う。
 
自然の方も疲れているからだ。
 
もう少し緑らしい緑を出してくれよ、
なんて排気ガスにあえいでいる樹木の肩を
たたいてやりたくなる。
 
川の色も
海の色も
空の色も
 
みんな事情を抱え込んでいるのだろう、、、
 
そのものらしい色に出会うために、
はたまた汚れた感受性を洗い流すかのように
沖縄へ向かった。
 
しかし、
沖縄の街の中の植樹たちも
排気ガスにあえいでいた。

設計図

↑ 香川「屋島の家」配筋検査
 
設計図を書くときには、
内容が伝わるように書かなければならない。
 
必要充分に書くことはなかなか難しい。
 
 
寸法ひとつにとっても、
書きすぎると
図面がごちゃごちゃになって読みにくいし、
書いてないと
設計図として成立しない。
 
施工者が知りたいと思う内容を
適切な位置に適切な詳しさで書く。
 
読む相手は誰なのか、
どんなことをしているのか、
よくわかってないと見当違いの内容を
伝えてしまうことになる。
 
熟達した人の図面は、
内容の量とはうらはらに、
思いのほかスッキリしている。