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「26坪の敷地に建つ木造3階建ての家」地鎮祭

遠回りしながらも
やっとスタート地点に立った、
って感じです。
これからクライアントと施工者、
設計者の3者で作っていきます。
 
 
将来に向けてのプロジェクトは流動的です。
 
途中で計画の変更を余儀なくされることもあります。
 
場合によってはプロジェクトの目指す先が
大きく変化してしまうこともあるでしょう。
 
実現していく過程で失われてしまうかもしれないアイデアが
まだどこかにラフな状態で内在していると思います。
 
またラフな関係で出会えることを楽しみに、、、

「草屋根の家」棟上げ

50分の1の縮尺で作った模型が、
目の前でグーンと大きくなったのが
確かに見えました。
 
 
「草屋根の家」は20坪の大きさです。
 
小さな家を設計するときは、
住まい手にとってあるいは自分にとって
何が大切で何が必要ないのか考える必要があります。
 
その「逃げのきかない」設計が
人の住まいの原型を探ることに
繋がっていくでしょう。
 
0410-1棟納め
初の棟納めで緊張の面持ちのご主人と私。
 
0410-2棟上げ
気合を入れる奥さん。
 
0410-3棟上げ
餅まきの準備
 
0410-4棟上げ
子供たちの夢中な姿。

なぜ屋根に草を、、、

「草屋根の家」の地鎮祭。
 
祭壇に供えられたお供え物の品々は
色鮮やかで豊富、
そしてデフォルメされたものに囲まれる。
 
 
 
当初、屋根に草を植えるつもりはなかった。
 
シンプルに無駄なく
素直な家にするつもりだった。
 
それは限られた予算があったから。
 
 
「へんなことはしませんから。」
 
と安心させようとしたら、施主は
 
「少しくらいなら。お任せします。」
 
この一言が運命の分かれ道。
 
 
とにかく施主と設計者が
あれこれイメージをふくらませているうちに
屋根の上に上がりたいという、
施主の欲望までもが溢れかえっていた。
 
屋根の上に草を植えることを通告した時も
施主に動揺は見えなかった。
 
「じゃあ壁は土壁で。」
 
と施主から提案してくるくらい
楽しみながら今は時を待っている。

2016

 
あけましておめでとうございます。
 
年始は実家に帰ったり、
家の近くの後楽園付近をムスメと散歩しながら、
のんびりさせていただいてます。
 
 
昨年はいくつかの家のお手伝いをさせていただきました。
 
建築の善し悪しは姿形や平面計画の合理性ではなく、
そこで暮らす人たちがどんなふうに変化し
成熟するかにあると思います。
 
特に住宅は。
 
もちろんそこに住まう人たちだけではなく
ムスメやスタッフもそうです。
 
時代に流されない
柔軟な個人に成熟するというのも大事ですし
そうなってほしいと思います。
 
完成した後の、
そこでの生活を想像しながら
建築できたらと思います。
 
本年もよろしくお願いいたします。
 
0103-岡山城

あまり見ることのない裏からの岡山城

椅子

 
椅子というヤツは
建築をしている人間にとって
ある種の魔力を持っているようで、
お気に入りを聞けば
その人のデザインの嗜好まで
憶測できたりする。
 
そのような人の前で
下手に椅子の話なんぞしようものなら、
長々とウンチクをたれられる危険があるので
気をつけた方がいいだろう。
 
 
座るという役割を担った物体という以上の存在で
憧れと尊敬する建築家の精神を身近に感じていたい、
という欲求が魔力となって
我々を悩ますのかもしれない。
 
 
 
事務所の椅子がボロボロになったので、
家具職人の二宮くんに作ってもらいました。
 
これで所長の精神を身近に感じつつも
スタッフも悩みながら
成長していってくれるでしょう。
 
それでは、良いお年を!

草屋根ハウス

 
先日は「草屋根の家」の請負契約でした。
来年、工事が始まります。
 
 
 
昔、と言ってもそんなに古くない昔。
女性のほとんどは職人であった。
 
上手下手があるにせよ誰もがそれぞれに特技を持っていた。
 
子供を育てるのが上手な人。
 
片付けるのが上手な人。
 
洗濯が上手な人。
 
料理が上手で漬物の達人だったりとか、、、
 
 
生活の達人が街にはいた。
 
みんなそれが当たり前のように
平然として上手であった。
 
それこそ夜なべをして手袋を編んでくれたりもしただろう。
 
それがいつの頃からか
生活の達人としての女性が姿を消してしまった。
 
消えていたはずだった。
 
ところがいた。
現代の職人女性が。
 
この家に住みたいという気持ちが
模型になって現れた。
 
 
この模型以上のものを
家らしい家ではなく、
それは人間がかつて住んでいた洞穴のような場所。
 
そんな住みかを来年はカタチにしていきたい。

休養?

 
先日は極寒の早朝から、
玉川の家の写真撮影。
 
年内あと2件のお引渡し。
 
 
今年もいくつかの家づくりを手伝わせていただいた。
 
人並みにいくつかの仕事があって、
そのそれぞれをどの方向へどうやって走らせようか、
なんて考えながら、
来年は事務所の態勢も整え直さなくてはならない。
 
 
「舟の上に生涯を浮かべ、
馬の口をとらえて老をむかふるものは、
日々旅にして旅を栖とす。」
 
 
今日は完全(?)休養の日であったけど、
この小文に出会えたことが収穫だった。
 
それが、砂をかむ日常に光をもたらしてくれた。
 
1219トレイル

「建築家のしごと2」を終えて

 
たくさんのご来場、
ありがとうございました。
 
去年から始まり
今年で2回目。
 
少しずつだけど手応えを感じる何かが
去年とは違って見えました。
 
特に建物探訪はお客さんと行動を共にして、
見て、聞いて、感じての反応が間近で伝わった意味では
これからのメッセージを示唆するかのような空気感に
包まれていたような気がします。
 
それは案内人を申し出てくれたトリムデザインさんが
丹下健三が設計した旧倉敷市庁舎の背景を伝えようとする
熱い想いが届いたのかもしれません。
 
 
これからもっとたくさんの人に、、、
という欲が出るかもしれません。
 
でもやはり自分たちがやるべき方向性を見失わないように
徐々につながり広がってほしいと思います。
 
 
共用、共有、共感、共鳴。
 
共にすることはこれからもいろいろあると思うけど、
実はみんなが求めているものはモノではなくて、
時間の共有なのかもしれません。
 
 
写真は、旧倉敷市庁舎の屋上。
今は使われていないけど、
昔は屋上で演奏会などをしていたらしい。

事務所内劇場

 
HP上で日記をつけ始めて
沢山の人に見てもらいたいと願いながら綴って
10年になろうとしています。
 
あいかわらずよく続けてきたな、と
我ながら呆れていましたが、
もうそろそろ少しだけ
スタイルを変えようと思います。
 
それはスタイルが、
考え方や作るものに影響するかもしれないと
気がついたからです。
 
どう気づいたかは、
どう変わるかがハッキリしたら
わかっていただけると思うので
今は述べないことにします。
 
 
日記というものは
ハッキリした相手が見えない時は
何となく気が乗りににくくなるもののようです。
 
読者は少しずつですが
増えていっているように感じてますが、
しかし一方で姿形は見えません。
 
もちろん応答もありません。
 
空虚に紙飛行機を投げているようなこともあります。
 
そんな事を10年間続けてきたら、
何となくボク自身の考え方も
そんな紙飛行機状態になっているのではないかと
心配になっている自分を自覚するにいたりました。
 
ということなので事務所内に散乱してある
空虚な紙飛行機を充実させるために
快楽を求める必要があります。
 
それはスタッフの日記をのぞくという行為、
ある種の私的劇場と事務所内劇場を
つくり出していこうと思います。
 
軽妙洒脱な劇場になって
恥をさらすような事にならないように
スタッフと共に発信していきます。
 
 
 
 
クライアントと出会って2年近くたった今
四万十市「安並の家」の骨格が現れる。

それぞれの「ふるさと」

 
昨日は四万十市で「安並の家」の地鎮祭。
 
 
 
郊外を越えて田園風景が広がる土地を
ドライブする機会は少なくない。
 
夏も終わり、心地良い秋の夜風と虫の音が
よりいっそう「ふるさと」らしい風景を演出する。
 
しかし数分もたたないうちに景色は変わり
郊外型の飲食店やコンビニ、電気屋などが現れる。
 
 
前者のような原風景よりも
後者のような光景で育った世代にとって
「ふるさと」の光景は
どの街にも見たことあるような
国道沿いの光景なのかもしれない。