
三重にも四重にも、
まるで重箱のような
建築玉手箱になっている吉備津神社。
入れ子建築になっているが、
玉手箱とは何やら
遺伝子を封印した人体の比喩ともとれ
無意識の記憶をもちながら
百代の過客の輪廻を繰り返す。
もっと広く解釈すれば、
魂魄、肉体、それを覆う衣服、
さらに建築、都市へと
無限に展開していくのではないだろうか。

三重にも四重にも、
まるで重箱のような
建築玉手箱になっている吉備津神社。
入れ子建築になっているが、
玉手箱とは何やら
遺伝子を封印した人体の比喩ともとれ
無意識の記憶をもちながら
百代の過客の輪廻を繰り返す。
もっと広く解釈すれば、
魂魄、肉体、それを覆う衣服、
さらに建築、都市へと
無限に展開していくのではないだろうか。

年が明けやっと筆を持つきっかけになったのは、
太平洋を見渡しながらの配筋検査からである。
今年もいくつかの建築がいろんな場所でうごめき、
この大地を共有の財産として生活の基盤と考え、
町に山に海に囲まれて風景をつくっていく。

数年前まではしょっちゅう枯らした。
枯らしては新たな生命体を導入し、
全神経を傾けた。
傾けすぎるからまた根腐れなどをして、
肩を落とすはめの連続である。
ところが今年の猛暑を耐えた植物たちは、
枯れなくなった。
枯れることに慣れてしまった体ゆえに、
枯れないことが時間の停止にさえ思われてくる。
劇的な変化を無意識に希求していたが
それは間違っていた。
日々微細な変化を遂げているこいつらにしてやれることは
この世にただ一つしかないのである。
§
今まで出会って来たクライアント、
日々微細な変化を遂げているスタッフやパートナー、
施工会社の方々のお陰で
独立して15年続けることが出来ました。
今年も多くの方と出会い、
私自身もたくさん勉強する機会を
いただいたと思います。
それと建築ジャーナルさんからの依頼で、
8ページにも及ぶ15周年の特集を
組んでいただきました。
機会をくださった建築ジャーナルのKさん、
協賛してくださった関係者の方々
本当にありがとうございました。
来年1月1日に発行予定です。
今年は建築する意味を考えることが多く
心が折れそうになることもありましたが、
それ以上に家づくりを楽しみ、
喜んでくれる方がたくさんいたので
その姿を見続けようと心に決めました。
そして年末にお会いした方々とお話しして、
その意味を考えるきっかけを
いただいたような気がします。
言葉や文字、形にするまでには
まだ時間はかかりそうですが、、、
来年も微細な変化を遂げながら、
愛情を傾け
素敵な建築を作っていこうと思います。
今年もあとわずかになってしまいましたが、
大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
それでは良いお年を!

何か共通の反応があるのか。
反応の結果はさまざまな形をとっていても
その奥には何らかの法則が見いだせるのではないか。
と、何かを求めるべく足を運んだ。
想像のいとぐちは発見にあり、
発見は着目を変えることから始まるのだろう。

内部の打合せ。
彫刻と建築との違いは、
建築には「内部空間」があること、
人が中に入って
感じるものだということ、
が外から鑑賞する彫刻との
違いなんだろうな。

住宅の設計は、
たぶん事実小説を組み上げるのに
似ているのだと思う。
単に事実の羅列では
小説にならないように、
使い勝手を処理しただけでは
住宅にならない。
時代背景の中に位置付けるように、
気候や風景、歴史の中に収めるのである。
一方では予算や材料、
施工や法的なことなどの制約があり、
他方には世界観や人生哲学の
崇高さが求められ、
住み手の生活と関心や執着、
はたまた夢と現実を
満たさなければならない。
一つ一つの謎解きをしていくようなもので、
住み手と施工者と設計者とで
一つの作品に仕上げていく過程の中で、
希望と現実を繰り返すように、
紙の上から現場へと移り、
躯体が組み上がっていく。