
形ある装飾ではなく、
形のない装飾概念はないのか、、、
素材そのものがもつ不均質性を
装飾的機能として
高めることは出来ないのだろうか、、、
人間の手の本来的な不均質が
作り出すムラやズレ、
素材の表面のニュアンスは
複雑な受容を帯びているのだろう。
家具職人の二宮くんが
槍鉋で仕上げた座面。

形ある装飾ではなく、
形のない装飾概念はないのか、、、
素材そのものがもつ不均質性を
装飾的機能として
高めることは出来ないのだろうか、、、
人間の手の本来的な不均質が
作り出すムラやズレ、
素材の表面のニュアンスは
複雑な受容を帯びているのだろう。
家具職人の二宮くんが
槍鉋で仕上げた座面。

空間の場所や向き、
整形な骨格の中に段差で区切られた、
アンチバリアフリーな空間には
快適性や意匠性以上のものが
生まれる可能性がある。
フレキシブルで曖昧な空間が求められる中、
拘束された小ヴォリュームが集まる1階と
高い空間から低く水平に伸びる2階には
新しいものが生まれるのではないか、、、
西日が敬遠される中、
1日の終わりを太陽と共に過ごすことで、
次なるものが新たに始まるだろう、、、
§
このたび岡山市で進めてまいりました
「津島東の家」が竣工します。
クライアントのご厚意により
9月15日(土)16(日)にオープンハウスを行います。
お時間が許すようでしたらぜひお越しください。
当日はゆっくりご覧いただけるように
予約制とさせていただいております。
ご予約は下記、TEL・メールにてお問い合わせください。
現地の場所についてはご連絡いただきました方に
こちらからご案内いたします。
TEL:086-235-5516
Email:info@k-tenk.com
不在により電話がつながらない場合は
お手数ですがメールにて予約をお願いいたします。

私の事務所はここ数年で植物が増えた。
きっかけは高松のクライアントからいただいた
コウモリランである。
ただ増えているだけではない。
減ったりもする。
乾ききった事務所に馴染めなかったものや、
栄養枯れの土によるものだったり、
根腐れしたもの、
環境を変えるため自宅に持ち帰ったもの、
などなど。
もちろん欲しくても
手に入れられないものもある。
先日、庭の打合せで
昨年末にお引渡ししたお家にお伺いした。
クライアントとは
土地探しからのお付き合いになる。
「土地探しからで言うと、2年以上もお世話になっているので、、、
テンキュウさんが好きだと思って、、、」
と玄関においてあったものを
おもむろに出してきたのは塊根植物。
欲しくても手に入れられなかった植物、
パキポディウム グラキリスなのである。
なぜ私が好きなものを知っているのだ?
しかも欲しくても手が出ないシロモノを、、、
「いや、そんな、もらうわけには、、、
いいんですか、、、」
私は口の奥でモゴモゴ言った。
それでいて目は輝き
パキポディウムのふっくらとした塊根を
しっかりととらえていた。
その横で呆れた目で
私を見るスタッフなんて知る由もない。
直射日光でも大丈夫、とか
風通しが大事だとか、
テクニカルな言葉を並べると
もはやエセガーデナーと一緒になりかねないので、
もう何も面倒なことは言わず
ただただうなずき、
必ず大事にします、
と心に誓うのであった。


人の心の内に生じる感情は、
様々な世界との接触の刺激から反応し
生じるものがほとんどである。
その世界が複雑でわかりにくい姿を呈している時、
身体が弱ければ困惑と恐怖を、
強ければ闘志を燃やせる。
また単純で把握しやすいものは
安心感や親近感を、
また退屈を感じる。
何らかのきっかけで、
複雑で捉えがたいものが
単純な姿に要約できた時、
諦めていたものが
急に身近な親しいものに変化することで
喜びから感動になる。
毎日放送の住人十色で放送された「草屋根の家」が
岡山香川・RSKでも放送が決定しました。
放送日は7月29日(日)13時30分からです。

水廻りの改修工事の一幕
五右衛門風呂に浸かり物思いにふける。
小さいけどどこか身近に感じる。

一年前にお引渡しした家の撮影、
モデルのスコちゃん。
家の空気なのか、家人の雰囲気なのか
長居してしまう。

お引渡しに数々の演出。
施主と施工者と設計者が一体になった瞬間。

まずそこに立って見ることだ。
立ち尽くして目をみはり、
耳をこらすことだ。
心を白紙にして
事象をそのままに受けとめてみることから出発する。
それから山積みになった問題も乗り越え、
共に目標を目指し形にしていく。
ただかっこいいものを作りたいからとか
人の為にとか言いながら
アブク銭だけ執着し、
富に溢れて私欲のために独走していると、
居場所を失い
これから出来上がっていくそれは
きっと見通しの悪いものになっていくだろう、、、
誰かが言ってた。
「人の為って偽りって書くんだな~」って

人と人との関係は
多くは利害関係で
結び合っているのかもしれない。
しかしその利害関係も
物質的なものから
次第に精神的なものへと
発展しようとしている。
裸の人間になったとき、
どれだけ利害が違うであろうか、、、
小さな仕事も大きな仕事も
本来の姿に帰った人どうしでつくるものは
これからの家づくりの理想である。
そして建築が生活の場として
つくられるとするならば、
建築の価値判定の尺度は
生活そのものにあり
生活の場とはどういうものであろうか、、、
を考えさせられる。

美か醜か、
便か不便か、
堅いか脆いかなどを問わず
人間の手が入って生み出された一切の姿を
造形として取り上げるところから
再出発してみよう。
「美醜」「本末」「善悪」「功罪」
といった評価をあげたところで、
いずれも何らかの価値観によって
一方を好ましいもの
他方を好ましくないものと判定する。
ただ建築の設計の上で、
予算的なこと、力学的なこと
施工上のことなどはいいけど
もはや使い勝手とか、
らしさだとか、
さらに造形や色彩などとなると、
主観的なものがかなり入って、
好き嫌いがものさしとなる。