かりそめ」カテゴリーアーカイブ

不完全な認識

打ち合わせのため宮崎に向かう。
日向市駅舎
ここにも内藤廣の設計が、、、
 
人が何かを伝えようとすると、そこには必ず様々なノイズが入り込む。
 
同様に、私たちは認識するとき
たいてい多くの誤謬や錯覚を抱いている。
 
 
それは、時に希望観測的な願望であったり、
必要以上のニヒリズムであったりといろいろだけど、
いずれにしても人の認識と情報の処理能力には限界があるので
「完全な認識」にたどり着くのは難しい。
 
誰でも「あの時、これを知っていれば、、、」
と思うようなことは、日常生活の中でも繰り返し起きる。
 
ボクもそうした試行錯誤の中に生きている。
 
正しい認識にたどり着きたいという思いは、
今も昔も人間の共通の希求としていつまでも消えることはないが、
追い求めて行かなくてはならない課題である。
 
ただそれとは別の考え方として、
「誤読的な想像」や「偶発的な出来事」が
新しい姿を創り出すこともあるし、
実際、建築の創造においては、そうした側面が多い。
 
だから誤読と偶然は、必ずしも無意味なものではない、と思いたい。

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さぬきの工場 棟上げ

↑ 工場の架構
 
 
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↑この週末はさぬき市で工場の棟上げ。
少しずつカタチになっていく我が工場を遠く見つめる主と
土いじりをしているムスメさん。

 
 
 
そういえば野菜や土をいじっていると
突然良いアイデアが浮ぶのだと誰かが言っていた。
 
私も触ってみたがもちろんそんなことは訪れて来るわけがない。
 
普段アブストラクトなことばかり考えているから
それで具象物に触れたい欲求が生まれてくるだけなのか。
 
そんなことばかりしてるから予定がこなせないのか。
 
もろもろの仕事が気になって仕方ないが、時間が取れない。
事務所になかなか戻れない。
 
今はスタッフを信頼するしかない。

 
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西予市「三瓶の家」

参拝

四万十市の現場「菩提寺」
 

かねがね
「外に向いた眼球をクルリと内に向けて、心を観ぜよ」
と菩提寺の住職から戒められているわけではないのだけれども、
 
神社仏閣に参拝する折りにはこのように心掛けているものの、
 
内に向けてばかりでは
どんな障害物にブチ当たってこけたりとも限らないので、
 
現場が始まるまでは目ん玉をひっくり返しておこう。

変わること、変わらないこと

緩やかに解体しつつあるとある西の果ての家
 

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岡山市内で再生されている家

 
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さぬき市で再生されている家
その横にはこれから工場が造られていく。

 
 
人は誰でも緩やかに変わりつつある。
自分を時に意識しつつ
変わらなければ、と思いつつ、
なかなか変われなくて悩みつつ生きている。
 
「変わらないこと」の大切さがある一方で、
「変わること」も大切だと思う。
 
どこで変わるきっかけを見つけるか。
 
どこで「死」と「生」のきっかけに出会えるか。
 
家を再生したり、新しい場所に移り住むのも、
新しい「死」と「生」を迎えるということと、
どこか繋がっているような気がする。

仕事始め

山の中を散歩。
 

年末年始はゆっくりさせてもらい、心身共にエネルギーを注入しました。
 
時々はあってもいいな。
こういう浮世離れした生活が。
 
ムスメがタカラジェンヌになろうとしているのは、ここだけの話です。
 
明日1月6日から仕事始めです。

 
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宝塚歌劇、創立100周年
気がつくと宝塚大劇場の中に、、、

 
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あけましておめでとうございます

沖縄を始めとする熱帯地方に分布する「ガジュマル」
 

このガジュマルの面白いところは不思議な幹の形です。
 
一般的に幹は自身を支えるために先細りに伸びていくのだけれども
この木はそんな考えを全く無視した幹の形をしています。
 
ガジュマルは幹や枝から髭状の気根を出し、
地中に入ると支柱根となるらしい。
 
つまり幹には自身を支える役割よりも
水分や養分を吸収する役割の方が大きいのである。
 
1ヶ所に根を下ろすよりも少しでも広い範囲で
栄養分を集めようとした結果が
あの神秘的な形状となるのだと思います。
 
昨年は独立して10年。
 
いろんな場所でたくさんの出会いがあり、
多くの方の協力のもと、少しずつですが形にもなり、
今日まで続けることが出来たのではないかと思います。
 
10年という年月は人間にとってみれば
大きいのかもしれませんが、
建築の寿命からすればまだまだ余すところが多いですし、
植物からしてみればこれからだと思います。
 
常に新しい意識を持っていなければ
それらの流れに取り残されてしまう。
 
だからと言って新しいモノばかり追っかけても
建築という長いスパンを考えると安易にデザインも出来ない。
 
そういった意味で、今自分が何を想い
何をつくっていくかということに
長い目で取り組んでいこうと思います。
 
今年もよろしくお願いします。
 
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「名護市庁舎」43年前の建物。
つまり私が生まれた年に竣工した建築物。設計は象設計集団

ここにはないどこか

↑ 米子の打合せの帰りの風景
 
 
久しぶりに美しい曇り空を見た。
 
 
建築ではなく、
しんとした大気を
まず先に感じてしまうような世界。
 
社会の煩雑さや目先の利害に惑わされず、
もっと遠くを見つめ
棲むものを静かに奮い立たせてくれる、
そんな場所が出来たらいいな。

福山出展予告

ドタバタの連続も少し落ち着き、
中だるみした一瞬も、
福山の建築家の面々の論述に
尻を蹴とばされる思いがして、
気を引き締める。
 
 
微風だけど追い風を捉えているのを実感する。
 
この風で走りきるか、
まだ早いか、
福山の風がどう吹くか、、、
 
 
2013年10月22日(火)~27日(日)
ふくやま美術館にて
「福山ゆかりの現代建築家展」に出展させていただきます。

ハレとケ

この連休は香川高松と岡山倉敷で地鎮祭でした。
 
 
日本の民家にはハレとケ、
言わば表裏の生活領域があって、
白黒の幕を張ることによって葬儀の場へ、
紅白の幕を張ることによって祝祭の場へと
変換する装置があります。
 
 
陽と陰、
生と死、
そしてパブリックとプライベート
といった表裏の概念を媒介するものが
「間」なのだと思います。
 
住居は近代建築の理念を教えるような
単なる部屋の集合ではないのではないか、
って思う瞬間です。

歯医者

↑ 徳島の「眉山を望む家」
 
 
日本海から太平洋にかけての出張が続く中、
折れた歯もくっつき、
めくれ上がり腫れ上がった唇もひき、
やっと人前に出ても恥ずかしくない顔に戻りました。
 
 
歯をくっつけに行ったついでに
他の歯を見てもらうと、
 
「こりゃ大きいですな。穴があいてますよ。」
 
と、おどろかされる。
 
歯ぐらいどうなってもいいのであるとも思うけど、
歯一つで人生悲観的にもなってしまうから
やっぱり直そうとしばらく通院することになる。
 
長生きするのには大事らしい、、、