かりそめ」カテゴリーアーカイブ

空間を分ける

空間を分ける要素として、
壁やガラス、建具といった物理的なものや
高低差や距離、配置などの空間的なもの、
色や素材、明るさなどの記号的なものなどがある。
 
一般的に「これくらいは必要なのではないか」とされる空間のサイズや
定番の素材から抜け出した空間には
快適性や意匠性以上のものが生まれる可能性がある。
 
 
草屋根の家では
フレキシブルであいまいな空間を求めていくと同時に
20坪の小さなヴォリュームから
新しいものが生まれるのではないかと期待が膨らむ。
 
 
0501-足場
上の写真は定番の素材から抜け出した足場板。
小さな家をたくさんの人の手を借りて
出来上がった証になるだろう。

細長い平屋の家

ドタバタの毎日で
しばらくアップできませんでしたが、
楽しみにされている方もいらっしゃるので
まとめて報告します。
 
 
「母屋の日当たりを考慮しつつ我が家にも光が入るように計画された平屋の家」
の地鎮祭でした。
 
母屋の南の庭に計画されたため、
母屋に対していかに光を取り入れるか、
もちろん南側にめいっぱい計画された
平屋の家の方にもです。

自然と建築の間で

 
 
計画地の周囲は豊かな自然が残されていて、
敷地の奥に計画された隠れ家のようなこの家は
広い敷地を生かし
一部の部屋を除いては
そのほとんどを平屋に抑えた形になっている。
 
夏の暑さと激しい雨に対しては深い庇を覆った。
 
つまり強い日差しを遮り、
雨から守る葉っぱの骨格から出来たような屋根の構造が
居場所を作ってくれた。
 
日差しが作った外部であり、
雨の作った内部である。
 
庇の奥行は外部と内部の関係を豊かな環境にし、
環境と家人の居場所を結ぶきっかけになるだろう。
 
 
 
高知県四万十市で設計監理を進めてまいりました
「安並の家」が竣工しました。
クライアントのご厚意によりオープンハウスを行います。

舞台は南の島へ

家具を確認するため
さぬき市にある二宮くんの家具工場へ向かった。
 
おにぎり型というか豆型というか
図面では表現しきれない形を口で説明する。
 
それが家具職人にとって良いのか悪いのかはわからない。
 
図面を見てその通りにつくるより
その方がきっと血が通ったシロモノになるに違いない。
 
 
19Φの鉄の棒を一筆で描いたようなキャシャな脚は
歪な形をした天板を支えることとなる。
 
クライアントのご厚意で来月行われる予定の
安並の家のオープンハウスには
この家具も見れるかも、、、
 
 
予約制なのでご興味のある方はご連絡ください。
連絡先は
 
info@k-tenk.com
 
です。
 
 
中村の大自然な山のふもとの広大な敷地から
いきなり驚くほどの唐突さで
舞台を南の島に移さなくてはならない。
 
0207-ts

2016

 
あけましておめでとうございます。
 
年始は実家に帰ったり、
家の近くの後楽園付近をムスメと散歩しながら、
のんびりさせていただいてます。
 
 
昨年はいくつかの家のお手伝いをさせていただきました。
 
建築の善し悪しは姿形や平面計画の合理性ではなく、
そこで暮らす人たちがどんなふうに変化し
成熟するかにあると思います。
 
特に住宅は。
 
もちろんそこに住まう人たちだけではなく
ムスメやスタッフもそうです。
 
時代に流されない
柔軟な個人に成熟するというのも大事ですし
そうなってほしいと思います。
 
完成した後の、
そこでの生活を想像しながら
建築できたらと思います。
 
本年もよろしくお願いいたします。
 
0103-岡山城

あまり見ることのない裏からの岡山城

椅子

 
椅子というヤツは
建築をしている人間にとって
ある種の魔力を持っているようで、
お気に入りを聞けば
その人のデザインの嗜好まで
憶測できたりする。
 
そのような人の前で
下手に椅子の話なんぞしようものなら、
長々とウンチクをたれられる危険があるので
気をつけた方がいいだろう。
 
 
座るという役割を担った物体という以上の存在で
憧れと尊敬する建築家の精神を身近に感じていたい、
という欲求が魔力となって
我々を悩ますのかもしれない。
 
 
 
事務所の椅子がボロボロになったので、
家具職人の二宮くんに作ってもらいました。
 
これで所長の精神を身近に感じつつも
スタッフも悩みながら
成長していってくれるでしょう。
 
それでは、良いお年を!

CSH

 
棟上げ後の「CSH」
 
 
1945年『アーツ・アンド・アーキテクチュア』誌の編集長は、
戦後の特需に備えた最新技術を用いつつも
実用的な新しい住宅モデルの制作を依頼した。
 
これは後に、
「ケース・スタディ・ハウス」
と呼ばれることになり、
世界的に注目されるようになる。
 
 
クライアントの要望の1つであった
「ケース・スタディ・ハウスのような、、、」
を意識しすぎて
フォトジェニックな建築にならないように
おおらかで、
健やかな信頼と
若々しい野蛮さが
継承していくような建築にしていかなくてはならない。

草屋根ハウス

 
先日は「草屋根の家」の請負契約でした。
来年、工事が始まります。
 
 
 
昔、と言ってもそんなに古くない昔。
女性のほとんどは職人であった。
 
上手下手があるにせよ誰もがそれぞれに特技を持っていた。
 
子供を育てるのが上手な人。
 
片付けるのが上手な人。
 
洗濯が上手な人。
 
料理が上手で漬物の達人だったりとか、、、
 
 
生活の達人が街にはいた。
 
みんなそれが当たり前のように
平然として上手であった。
 
それこそ夜なべをして手袋を編んでくれたりもしただろう。
 
それがいつの頃からか
生活の達人としての女性が姿を消してしまった。
 
消えていたはずだった。
 
ところがいた。
現代の職人女性が。
 
この家に住みたいという気持ちが
模型になって現れた。
 
 
この模型以上のものを
家らしい家ではなく、
それは人間がかつて住んでいた洞穴のような場所。
 
そんな住みかを来年はカタチにしていきたい。

休養?

 
先日は極寒の早朝から、
玉川の家の写真撮影。
 
年内あと2件のお引渡し。
 
 
今年もいくつかの家づくりを手伝わせていただいた。
 
人並みにいくつかの仕事があって、
そのそれぞれをどの方向へどうやって走らせようか、
なんて考えながら、
来年は事務所の態勢も整え直さなくてはならない。
 
 
「舟の上に生涯を浮かべ、
馬の口をとらえて老をむかふるものは、
日々旅にして旅を栖とす。」
 
 
今日は完全(?)休養の日であったけど、
この小文に出会えたことが収穫だった。
 
それが、砂をかむ日常に光をもたらしてくれた。
 
1219トレイル

建築家のしごと2

 
12月9日(水)から13日(日)まで
倉敷市立美術館で展覧会をしています。
慌しい師走の風が吹き荒れていると思いますが
是非ご来場お待ちしております。
 
ちなみに私は11日の午後と13日に待機してます。
 
 
私の展示物は下に綴ってあるコンセプトに目を通してから
見たほうがわかりやすいと思います。
 
 
 
§
 
普段の生活の中で人々に建築が意識されることは
少ないのではないかと思う。
 
この建築はよく出来ているなとか、
これはなんて新しい考え方の建築だ
なんて感じながら街ゆく人はいない。
 
道路や橋を便利に使うように
建築も使われることがほとんどではないだろうか。
 
 
建築を設計する人が建築家だけど、
世の中では設計士さんとか建築士さんと呼ぶ。
 
建築を設計する人の中には小説家や画家や評論家と同じように、
もしかしたらそれ以上に文化や芸術的な価値を求めて
建築を考える人がいるかもしれない。
 
それが建築家なのかもしれない。
 
建築家は一所懸命に文化を考え続ける。
 
人々が求めないことまでわざわざ踏み込んで設計する。
 
頼まれもしないのに考え続け設計する。
 
うっかりしてたらメディアに紹介されたりもする。
 
メディアの力によってつくられた華やかなイメージと
そのカタチに辿り着くまでの地味なプロセス、
相反する建築家の仕事は延々と回り続ける。