かりそめ」カテゴリーアーカイブ

小さな町の小さな山のふもとの小さな公園のそばに建つ大きな遊具のような洞穴

 
先日のオープンハウスでの沢山のご来場、
そして貴重な時間をつくっていただいた
クライアントのTさん、
ありがとうございました。
 
また遅くまで作業してくれた工務店のTさん、
お疲れさまでした。
 
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この世の中には異人とも呼ぶべき人が確かにいる。
この家のクライアントもその一人である。
もちろん工務店のTさんもその中に入る一人かもしれない。
 
この建築はその人物たちの異人ぶりを
そのまま形にしたとも言える。
 
 
 
その人物、その形、その生活を主体として考えるならば、
家はかくのごとくすでに解体している。
 
自らの思考の中で。
 
住むことを主体とするならば、
住む場所は当たり前である必要はない。
 
〇LDKでもなく、〇帖とかいう部屋もなく、
収納部屋もなくても一向に差し支えないのである。
 
本人の意識のコントロール、
自由さ加減だけが問題であり、
実はそれが障害であり、壁である。
 
クライアントはその意識を
巧みにコントロールしているように見える。
 
そしてその意識をどう形にするのか託された。
 
 
敷地の広さは20坪。
コンパクトであればあるほど
人の行動や身体感覚への眼差しが如実に表れてくるので
設計は簡単ではなかった。
 
そしてその難しさを克服して出来たこの小さな家は、
どこか人間という動物の「巣」を
現代的に表出させたような雰囲気を持たせることを可能にし、
クライアントの意識を形にすることが出来たと思う。
 
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オープンハウス初日を終えて

 
見る、聞く、触る、味わう、嗅ぐという
人間が持って生まれてきた
感覚だけではなく、
書く、喋る、笑う、編む、などなど
いっそうのびのびと
働かせられるような環境を、
そして人々の心身が
のびやかに活動するような
環境が出来たんじゃないかと思います。
 
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「草屋根の家」オープンハウス

 
この家の屋上は
持ち上げられた地面である。
 
そこには草木が生え、
鳥が集まり、
人々が集まるだろう。
 
そこには地上の生活と
空中の生活の両方がある。
 
空気を含み、
光を吸い込み、
音を閉じ込め、
人や物を抱擁する。
 
 
身の回りの埃、
足元の野芝、
地軸。
 
上を向けば星。
 
春夏秋冬、
朝昼夜、
時々刻々
二度と同じことはない。
 
 
22日23日、
興味のある方は是非!

もぐるか、見上げるか

 
大きな浴槽と
天窓がそこにあったとき
 
湯船に浸かりもぐるか
それとも
仁王立ちになって見上げるのか、、、
 
 
 
「草屋根の家」
来月オープンハウス予定です。

「建築家のしごと3」を終えて

 
暑い中にもかかわらず、
たくさんのご来場
ありがとうございました。
 
今年の「建築家のしごと」展は
夏休みということで、
子供向けのワークショップを試みてみました。
 
これをきっかけに
建築に興味を持ってくれる子供たちが
増えていってくれるといいですね。
 
 
なりたいものになることや、
やりたいことをやることは
多分概ね出来ると思います。
 
でも、何かを引き換えにしている場合が多い。
 
それでもそれを成したいと思うこと、
自己陶酔とまではいかなくても、
何かに入り込める、
ということが多分才能なのかもしれません。
 
そしてその想いの強さが
表現の強さになり、
その表現の強さが
人の心を打つのかもしれません。
 
 
今回の建築探訪は
展覧会の会場である前川國男設計の
天神山文化プラザ(旧称:岡山県総合文化センター)
 
毎年会場になる建物を
メンバーであるトリムデザインさんが案内してくれたのですが、
設計者の生い立ちや建物の意図を主観を交えず
それぞれが見て聞いて感じれるような
案内をしてくれるので
見方が多角的に、
想像が豊かに膨らんでいきます。
 
実は個人的に楽しみにしているコーナーで、
僕はと言えば建築を作り
いい建築を見続けていきたいと思っています。
 
先人たちの圧倒的な作業の積み重なりに打たれつつ、
それらに敬意を抱きながら、
ほんのわずかでも
そこに発見的な何かを
付け加えることが出来ればいい。
 
豊かな空間を作って、
人に喜んでもらえれば、
そして人の心を打つことができたらと思います。
 
0809-天プラ02
 
2枚の写真は天神山文化プラザの屋上

建築家のしごと3

 
建築家の職能として
必要なものとしていくつかある。
 
その中でコミュニケーションもその一つ。
 
施主、職人、図面、素材、寸法、形、地域、場所、時間、自分自身
様々なものといかに良いコミュニケーションが取れたかによって、
建築の質が変わってくると思う。
 
それらを伝えることが出来、
何かしら感じてもらうことが出来たらと思い
今年も「建築家のしごと3」を行います。
 
 
 
ルイス・カーンはレンガに
「何を望んでいるか?」
と聞いたらしい。
するとレンガは
「アーチが好きなんだ。」
と答えたそうだ、、、
 
0731-ルイスカーン01
アユブ国立病院

素材でござい/水・緑

 
変化を導き入れる素材に水や緑などがあります。
 
音を立て噴出し流れ落ちる泉、
光を反射させる静寂な湖、
影を映し出すしゆらめく水面など
水は多様な変化をもたらします。
 
 
また植物も風にそよぎ、
天候の移り変わりにより木陰を作り出し、
四季折々色を変え、
年を経て成長することまで繰り返しながら
質の変化を空間に与えます。
 
0731-西粟倉村

素材でござい/光

 
光には色がある。
 
光自体の色というより、
建築における光には、
光が透過したり反射したりして
空間に差し込む間に
染められるような色がある。
 
物質を介して光が変化する。
 
素材の色に染められた光は
空間の質を大きく左右する力がある。
 
天神山文化プラザにて。

素材でござい/自然素材

 
「草屋根の家」では壁や天井の下地に使うバラ板、
いわゆる隠れる部分に使われる荒い杉板を仕上にした。
 
出来る限り自然な素材で、、、
 
自然素材の良さは、
非均質性、偶然性、変化の妙にあって
そこから深い味わいが生まれてくる。
 
しかし実際には柱や板などは均質化されており
言ってしまえば
自然素材の皮を被った工業製品とも言える。
 
だからこの家は
「どこか懐かしい」とか
「気持ちいい」とか
「人は生まれながらにして自然を求めている!」
 
というような能天気な考えよりも、
 
楽観的とも思えるくらい
ギョッとするようなものが
出来るやもしれぬ。

 

「光と闇」

近代建築の志向性は、
住居が持っていた家の中の
「闇」の部分を、
意味のないもの
わけのわからないものとして否定し、
排除して来た感がある。
 
もともと森林のサルから
進化してきた人間にとっても、
闇は恐れおののく空間だったかもしれないが、
一方では外敵から身を隠すことの出来る
安全な空間でもあった。
 
 
考えてみれば、
光と闇があるように、
苦あれば楽ありで、
大きくたって小さくたって、
難工事であればあるほど
創作の喜びは大きいと思う。
 
千利休の茶室や鴨長明の方丈の庵の愉悦は
想像以上のものであったのかもしれないですよ。
 
もっと過激に言えば、
建築そのものが
脳を気持ちよくする快楽物質なのです。
 
建築をすれば誰でも気持ちよくなれる、
そうささやいてるんですよ、
 
きっと。
 
 
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上の写真は浴室。
最終的には土の中にいるような感じになればと思っている。
 
もう一枚は床材を仮置きしている写真。
大工さんもだんだん麻痺、
いえ楽しんでくれてる、と思う。