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幕末から続く、時間の器

 

1868年.

時代で言えばまさに

激動の幕末から明治へと移り変わる境目.

刀の時代が終わり

西洋の思想や技術が一気に流れ込み

日本という国の輪郭そのものが

書き換えられようとしていた頃に

この家は建てられた.

 

場所は岡山市祇園.

旭川の流れに近く

民家の気配と田の静けさが

まだらに混ざる土地だ.

 

この家が建った年

人々は「これからどうなるのか」を

誰も知らなかったはずだ.

社会の仕組みも、価値観も、生き方も

大きく揺れていた.

 

それでも大工は梁を架け

柱を立て、屋根を葺いた.

100年以上先の未来など想像もせず

ただ家族が安心して暮らせる場所をつくるために.

 

建築とは不思議なもので

どんなに時代が動いても

最後に残るのは「暮らしを守る器」だけなのだと思う.

 

水路に架かる橋を渡ると空気が少し落ち着く.

長い年月を吸い込んだ木の匂い.

磨かれ続けた床.

手の痕跡が残る柱.

 

派手さはない.

しかしこの家は

明らかに時間の層をまとっている.

 

古民家の改修でいつも自問する.

残すべきは形なのか

それとも時間なのか.

 

柱のわずかな傾き.

不揃いな材.

合理性だけで見れば

現代の建築のほうがはるかに整っている.

 

けれど整いすぎた空間は

ときに記憶を持たない.

この家には人が生きてきた重さが

静かに沈んでいる.

 

今回の改修で目指すのは

過去を美化することでも

消し去ることでもない.

 

新しい部分は新しいと分かるように.

ただし決して声を荒げず

前からそこにあったかのように佇ませる.

 

古いものと新しいものが競い合うのではなく

互いに余白を譲り合う建築.

 

幕末という巨大な転換期を越えてきたこの家は

言わば“小さな生き証人”だ.

社会がどれだけ変わっても

人が帰る場所の本質は変わらない…

そんな事実を静かに語っている.

 

おそらくこの家はこれからも立ち続ける.

だとすれば私たちの仕事は単なる改修ではない.

 

時間のリレーの中に一本の線をそっと加えること.

 

設計を進めながらときどき想像する.

激動の時代にこの家を建てた大工が

もし今の姿を見たら何と言うだろう.

 

「まだ使われているのか」

そう呟いて少しだけ誇らしげに頷くかもしれない.

 

派手な変化は起こらない.

けれどこの改修は場所の記憶をさらに深くし

次の100年へ静かにつないでいく.

 

時代が大きく動くときほど建築は騒がない.

ただそこに在り続ける.

 

この家もまたそうありたいと思う.

 

場所に選ばれる建築

 

畦地遺跡に呼び込まれるようだった.

風が先に通り地面は何も語らずそこにある.

その場所に立つと、ただ「ここだ」と思えた.

建築はときどき人の意思より先に場所が選んでいる.

 

「初神の家」の請負契約を終えた.

けれどこれは始まりではなく

静かに続いてきた時間が

ようやく輪郭を持った瞬間なのだと思う.

 

打合せを重ねるたび

かたちは少しずつ整っていった.

ろくろの上で土が器になっていくように

急がず、抗わず.

 

強すぎれば崩れ

弱すぎれば立ち上がらない.

建築もまた力の加減の中にある.

 

設計者、つくり手、住まい手.

誰か一人の仕事ではない.

歩幅をそろえ

ときに乱しながらも

不思議と前へ進んでいく.

 

遺跡のそばに建つからといって

特別なかたちは求めない.

時間の層にそっと重なり

昔からそこにあったかのように佇むこと.

遠い過去を渡ってきた風が

静かに軒下を抜けていく.

そんな家になればいいと思う.

 

ろくろを離れた器が

乾き、焼かれ

やがて手に馴染んでいくように

この家もまた

暮らしの中で少しずつ

完成していくのだろう.

 

畦地遺跡に見守られながら

今日もまた一歩.

静かな強度

 

昼過ぎの現場は朝の緊張が少しほどけ

どこか穏やかな空気に包まれていた.

京田の家、配筋検査の日.

 

24坪という大きすぎない器.

構造は耐震等級3

まだコンクリートに覆われる前の鉄筋が

整然と地面の上に広がっている.

その姿はこれから始まる暮らしの骨格のようでもある.

 

京田のような場所には分かりやすい派手さはない.

けれど良い家が建つ条件が静かに揃っている.

地下水を生活用水にできるほど水がきれいなこと.

見上げれば空が広く抜けていること.

それでいて町から遠すぎないこと.

 

こうした土地では建築が無理に主張する必要がない.

場所の力に耳を澄ませ輪郭を整えていけばいい.

 

京田は建築を急かさない.

時間を味方につけながら

静かに育てていくタイプの土地だと思う.

 

基礎の配筋を眺めながら

この家もまた風景の一部になっていくのだろうと想像する.

強さを内に持ちながら

外には多くを語らない家.

 

完成したとき

「ここに建つべくして建った」

と自然に感じられる

そんな建築を丁寧につくっていきたい.

地鎮祭~抗わずに建てる

 

ここにたどり着くまでに四年.

ともに探し、迷い

ようやく出会った場所だった.

 

当初は巨大な擁壁を築き

水平な基壇の上に建築を据える計画もあった.

だがそれは土地が長い時間をかけて

形づくってきた地形を断ち切ることになる.

自然を整えることと壊すことは紙一重だ.

だから私たちは地形に逆らわず

できるだけ法面を生かす設計へと舵を切った.

 

建築は土地に抗うのではなく

その延長としてそっと置かれるほうがよい.

風の通り道を残し

水が還る余白を確保する.

すると建築は「建てる」というより

土地に静かに持ち上げられる存在になる.

 

確認申請を提出してから

まもなく半年が過ぎようとしている.

建築の時間はときに驚くほどゆっくりと進む.

しかしこの土地に堆積した時間に比べれば

その遅さはむしろ自然な歩幅なのだろう.

 

先日地鎮祭を執り行った.

祝詞が響くなか

この建築を土地に差し出し

同時に土地から許しを受け取ったような気がした.

 

やがて現れる建築が

以前からそこに在ったかのように

風景へ溶け込むなら

この時間のすべてが

必然だったとわかるだろう.

 

建築とは土地と時間のあいだに

結ばれる静かな約束なのだ.

方形の洞へ ~植栽工事

 

植栽工事が進んでいる.

それは飾るための作業ではなく

建築が日常へとほどけていくための大切な時間だ.

 

建物と植栽は

どちらかが主役になる必要はない.

前に出る日もあれば

静かに背景に退く日もある.

その揺らぎが

この場所に無理のない居心地をつくっている.

 

葉の動きにふと目が留まり

光の変化に一日の流れを知る.

ここでは季節が語りかけ

天候がそっと生活に混ざり込む.

 

建築は強く主張しない.

ただ外と内

人と自然のあいだに

穏やかな距離を用意している.

その距離があるからこそ

人は安心して身を置ける.

 

「関係としての建築」は

「日常に馴染む風景」として

この方形の洞の中で静かに息づいている.

 

特別なことは起こらない.

けれど何気ない時間が少しだけ豊かになる.

その積み重ねがこの場所を家にしていく.

 

方形の洞は完成を急がない.

植栽が育ち人の暮らしが重なり

ようやく建築は

風景の一部になっていく.

錦帯橋

 

柳井の現場の途中、錦帯橋に寄る.

 

錦帯橋は五つの橋が連なる.

ただ連なっているのではない.

中央の三連は迫持式と呼ばれる木のアーチ.

両端の二連は静かに反りをもつ桁橋だ.

 

この五連という構成は

世界的に見てもきわめて希である.

だがその希少性は奇抜さから生まれたものではなく

「流されない橋をつくりたい」

ただその切実な願いが

形となった結果である.

 

急流に抗うのではなく受け流す.

力を一箇所に集めず分け合う.

木を組み、重ね、押し合いながら

アーチは自ら立ち上がる.

そこには理屈よりも先に

身体で覚えた構造の知恵がある.

 

錦帯橋は技術の記念碑のように見られがちだけど

自然と向き合い続けた時間の集積であり

人の手が風景に学び続けた痕跡そのものだ.

 

現代においてもこの架橋技術は高く評価されている.

それは古いからではなく

いまなお合理的で

しなやかで

美しいからである.

 

地鎮祭

 

2021年に構想が芽生えたこの家は

四年の時間を経てようやく地鎮祭を迎えた.

やっと始まるというよりも

ここから静かに続いていくという感覚に近い.

 

この四年間のあいだにいくつかの家を引き渡してきた.

そのたびに変わらず足を運んでくれた.

他に心を奪われることなく

距離を保ちながら

しかし確かにこちらを見続けてくれていた.

その姿勢だけで建築に向けられた思い

人とのつながり

何とかしてこの場所に応えたいという気持ちが

少しずつ輪郭を持ちはじめる.

 

高知県須崎市東部に位置する吾井郷(あいのごう).

かつて荘園「津野庄」の中心として栄えたこの地は、

新荘川がつくり出した平野と

穏やかな気候に支えられた土地である.

農の営みが今も生活のすぐそばにあり

時間の流れがどこか緩やかだ.

 

清流・新荘川の気配は

この敷地にも静かに届いている.

カワウソが最後に確認された川として知られるその風景は

派手さはないが確かな生命の厚みを感じさせる.

ここでは建築もまた声高に主張する必要はないのだと思う.

 

この家が目指すのは

風景に溶け込むことでも

風景に逆らうことでもない.

 

日々の暮らしが自然に積み重なり

その結果として建築がそこに「在る」こと.

時間とともに馴染み

いつの間にか生活の背景となり

ふとした瞬間にその良さに気づく

そんな居場所でありたい.

 

四年分の想いと

この土地が持つ記憶.

それらが少しずつ重なり合い

これから形になっていく.

吾井郷の風と水のそばで

静かな建築が

またひとつ始まろうとしている.

堆積する時間の中で

一年の終わりは

建築にとって「区切り」というより

静かに堆積した時間を見つめ直す季節のように思います.

現場で交わした何気ない会話

図面の線を一本引き直した夜

光が思ったより深く差し込んだ朝.

そうした一つひとつが

建築の輪郭を少しずつ確かにしていきました.

建築は完成した瞬間だけが答えではなく

むしろ迷い立ち止まり

選ばなかった道も含めて

その建物の「時間」になるものだと感じています.

今年もまた土地に耳を澄まし

人の暮らしの速度に合わせて

無理のない形を探し続けた一年でした.

整えすぎず

語りすぎず

それでも確かに息づく空間を目指して.

関わってくださった施主の方々

職人の皆さん

同じ現場に立ってくれたすべての人に

心から感謝いたします.

年が改まれば

また新しい条件

新しい風土

新しい対話が待っています.

急がず焦らず

建築が自然に立ち上がる瞬間を信じて

来年も一つひとつ積み重ねていきたいと思います.

本年もありがとうございました.

どうぞ穏やかな年の瀬をお過ごしください.

雪に包まれた記憶.

2月の白川郷にて.

阿波の法隆寺

計画地を見に行ったついでに丈六寺を訪ねる.

ここは「禅宗建築の粋」なんて言われるけど

石段を登り切ったころには

建築美を味わうより先に膝が笑う.

で、その膝の震えが妙に禅的なんだな.

でもただの古寺じゃない.

戦国のときには火だの血だの散々な目にあっている.

普通なら跡形もなく消えるところを

丈六寺はちゃっかり残っている.

柱や梁だってちょっとすすけた顔で

「いやぁ、昔はいろいろあったんですわ」

って言っているような気さえする.

それでいていまも地域の人が集まって

祈ったり祭りをしたりする.

観光用の「古刹」じゃなくて

ちゃんと人の生活に組み込まれている.

寺っていうのは建築の博物館じゃない.

日々の呼吸が染みついているから生きている.

「静寂の古寺」とはちょっと違う.

むしろ賑やかな「日常の寺」

そういうのが本当は建築を生き生きさせるんだろうな.

結局丈六寺は「禅宗建築」で「戦国の悲劇」で「地域の拠点」

どれか一つに絞ろうとするとするりと逃げる.

だから面白い.

見る人それぞれに違う顔を見せる.

掴みどころがないようでいてそこが魅力なんだと思う.

畦地遺跡の近くで

この地に立てば耳に届くのは

風の音ばかりではない.

かつて火を囲み石を削り

土を焼いた縄文の人々の気配が

いまも土の奥底に息づいている.

畦地遺跡に眠る磨かれた石斧の面

鋭さを宿した尖頭器の輪郭

土師器の破片.

それらは単なる出土品ではなく

大地に刻まれた呼吸であり

時を超えていまを支える「骨格」である.

土器に火を映し

水をたたえ

森と語らいながら生きた縄文人の暮らしは

いまも風のざわめきや土の匂いに溶け込んでいる.

その歴史の層に呼ばれるようにして

陶芸家の夫婦がこの地に根を下ろすこととなった.

土を捏ね

火を入れ

器を立ち上げる.

その手は遠い縄文の呼吸と共鳴し

ひとつの連なりを織り成す.

人と土地とが交差し

時間と空間が絡まりあう地点にこそ

住まいは生まれる.

設計とは単なる図面を引く作業ではない.

ここに棲む人の営みと

この地に積層した記憶とを

ひとつの形に編む行為である.

だからこそいま私たちは契約を交わす.

それは紙に署名する行為でありながら

実のところは縄文から続く千年と

これから紡がれる未来とを結ぶ

「誓い」そのものなのかもしれない.