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日光東照宮

 
日光東照宮の造営にかり集められた
職人集団の表現技術とエネルギーが、
唐様の建築を装飾として食い尽くし
同時に樹木、雲、そして花などの
アニミズムの精霊が
建築を情報のヴェールで
覆い尽くそうとしている。
 
贅を尽くしたこの建物は
「存在」を確かめ得るように、
これこそ純粋芸術としての建築と
空間表現に関する主張なのでしょう。
 
日光東照宮02
 
日光東照宮01

華厳の滝

 
ムスメの国体出場の応援のため
1週間ほど栃木に滞在。
 
せっかくなので空き時間に栃木県を堪能する。
 
たぶん建築設計を生業にしている人は
アートビオトープ那須に行くのだろうけど
悩んだ末、日光に行くことにした。
 
人工的につくられた不自然な自然を楽しむのもいいけど、
伝統的遺産である建築物や自然は長年の蓄積の結果、
内容と形とが一致し、
調和した美しさがきっとあるはずだと、
中禅寺湖・華厳の滝、
そして日光東照宮を目指す。
 
1012-華厳の滝01

COLOR

夢のあらかたはモノクロームの世界である。
 
でも時にカラーに見える時があって
ハッと目が覚める。
 
そこは多分現実にある色でなく
どこにもない微妙で
優しい色だったような気がする。
 
 
時に自然の色に
感動しなくなることがある。
 
こちらの感受性が
汚れてるせいなのかもしれないけど、
それだけではないと思う。
 
自然の方も疲れているからだ。
 
もう少し緑らしい緑を出してくれよ、
なんて排気ガスにあえいでいる樹木の肩を
たたいてやりたくなる。
 
川の色も
海の色も
空の色も
 
みんな事情を抱え込んでいるのだろう、、、
 
そのものらしい色に出会うために、
はたまた汚れた感受性を洗い流すかのように
沖縄へ向かった。
 
しかし、
沖縄の街の中の植樹たちも
排気ガスにあえいでいた。

徳之島計画地訪問記~その2


フェリーから徳之島を見る。
 
話には聞いていたけど
実際にこの地に降り立つと
思い描いていた世界とは
全く異なる場所であった。
 
考えようでは思い描いていた世界と
現実がほぼ同じということぐらい
つまらないことはない。
 
現実の島の前には、光の多様さ、
草木の色の鮮やかさ、
海の色の輝きも、
驚くほどの多彩さを作り出している。
 
底抜けの明るさを持つ島人の裏には
ミステリアスで寓話的な印象もあった。
 
文化、歴史は人間が作るのであって、
風景が作るわけではない。
 
しかし、自然との折り合いの中で、
人間の生活自体があることも
意識しなくてはならない。
 
 
ボクたちに許された時間は
決して長くなかったが、
ボクの記憶には
深い深い余韻を残すカタチとなった。
 
 
この島の風景を感じると、
いつのまにか両手にたくさんのモノを抱えて
歳をとってしまった自分に気付いて反省する。
 
明日でボクは42歳になる。
 
0820-徳之島敷地
↑計画地
 
0820-闘牛場
↑闘牛場。
「オーレ」とか「オーラ」とか言って
人と牛が闘うスペインの闘牛ではない。

徳之島計画地訪問記~その1


出航前、フェリーから桜島を眺める。
 
 
不眠不休の波は小さくなったけど、
鏡に映っている
疲れた自分の顔から逃げるしかない。
 
ずいぶんセコイ逃亡者ではあるが、、、
 
8月11日。
鹿児島から徳之島へ向かうフェリーの中。
 
 
計画地を訪ねるのは設計する者にとって、
依頼主に出会うのと同じくらい
何より大事なことである。
 
島の雰囲気はグーグルの地図で、
何となくは予測出来ている。
 
でもその場所の何か、
霊気のようなものは感じられない。
 
 
身体で感じる風の柔らかさ、
陽光の移ろい、
海の音、
潮の香り、
草木のざわめきも
もちろん聞こえてこない。
 
島を見てそこに立って
聞くであろう場所の言葉を得たならば
これまでなんとなく描いていた案は
壊してしまおう。
 
もっと何か凄いモノを
得られるかもしれないと、
心待ちにしているのである。
 
出来るかどうかわからないけど、
可能な限り
自分をカラにしておかなければならない。
 
 
今、東シナ海の上。
 
ムスメは初めての船泊。
興奮していたが
疲れて眠っている。
 
後12時間で徳之島に着く。
 
あまり余計なことは考えず、
眠るとしよう。