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缶詰状態


「南国の家」のクライアントの紹介で
予約していただいた部屋の坪庭。
 
なかなか予約できなかった中、 
クライアントとパシフィックホテルの支配人に
御礼申し上げます。
 
またクライアントから高知のお酒までいただき
頭が下がる思いです。
 
 
 
先日の80坪近くの二世帯住宅と
昨日の14坪の住宅のプレゼンを終える。
 
まずまずの滑り出し。
 
お盆までにあと二件のプレゼン。
 
 
何も浮かばない日々が流れているような気がして
不安に包まれることがある。
 
ま、不安は不安として危機感に育てながら
やっていくしかない。
 
 
 
今日は、「南国の家」の実施見積りの打ち合わせの後、
高知市内のホテルで缶詰状態。(仕事をする自分)
 
「南国の家」のクライアントにいただいたお酒を
缶詰に持ち込もうと思ってみるが(飲みたい自分)
 
コレはコインの裏表みたいなモノで、
双方ともに同時に陽が当たるコトはまずないので
持ち込むのをやめることにする。
 
手を動かしているうちに、
手が描いてしまう偶然の重なりの中から
アイデアが生まれてくることがある。
 
まして、5年の前のスケッチの上に
重ねてスケッチするのだから
5年という時間の隔たりも味方してくれる。
 
いくつかのアイデアを得る。

模型


これは小学校2年生の娘が
学校で作った工作で、
トイレットペーパーの芯で作った建築。
 
坂茂を彷彿させる。
 
 
お盆前までにいくつかのプレゼン、
いくつかの模型をつくらなければならない。
 
模型を眺めたり、作ったりしていると、
子供の頃に自分自身をコビトのように小さく想像しながら、
積み木やミニカーやブロックで遊んだことを思い出す。
 
子供はいつでも自分を小さく想像することで、
「小さな世界」で遊ぶことができる達人だと思う。
 
精巧な模型でも、
子供が作った模型でも、
大きなものを小さくすることに
愛情の表現を見出すことが出来る模型を
作っていきたいです。
 
と、言いながら大雑把な技量を持つスタッフを
慰めているわけではありません。
 
0719-紙の教会

坂茂が設計した「紙の教会」

「休日」


コンクールの会場
くらしき作陽大学
 
一年の半分が過ぎたのも気づかないまま、
休みが取れないでいる。
 
ボロボロになった僕の身体から
毒素を排泄してもらい、
後に体が軽くなるかどうかは
クライアントの腕に期待するしかない。
 
 
日曜日は何ヶ月かぶりの休日。
 
その日は娘のピアノのコンクール。
 
梅雨のうっとおしい季節の合間から覗く青空で、
娘の気分も晴れて弾いて欲しい。
 
気持ちをうっとおしくしてはイカン、
と言い聞かせたいところだが
やっぱり娘にとってはまだ梅雨の真っ只中なのか
憂鬱な中での演奏だった。
 
娘にしてみたら満足はいかなかっただろうけど、
悔し涙を流し、
良い経験だったと思う。
 
もちろん僕にとっても
そんな娘の姿を見ることが出来て
良い一日であったと思う。
 
この日があったからこそ、
良い一ヶ月になり、
良い一年で、
良い人生を過ごして欲しい。
 
次、頑張りましょう。

「若さ」


高知・四万十の現場
 
 
週末は、高知・高松で打合せ。
 
なんだか疲れが恒常的になっていて、
思考に弾みがつかないが、
高知市内のホテルでやっとコレを記す。
 
 
このところ、この忙しい中ふと思うことがあった。
 
イギリスの文豪サマセット・モームの言葉、
歳を重ねることについての言葉である。
 
「若いときよりも、歳を取った時のほうが、ずっと楽で楽しい。」
 
モームは晩年に、
確かそのようなことをサラリと言っていた。
 
歳を取った時のほうが、
いろいろなことに煩わされなくなり、
自分がやりたいと思うことに、
落ち着いた気持ちで取り組み楽しめるのだ、と。
 
その全てを、言葉通りに受け取るわけにはいかないかもしれないけど、、、
 
 
今になってふと浮かんだのには、ワケがある。
 
先日、私が勤めていた事務所の所長が、
日本建築学会賞を受賞され
その祝う会に招待していただいた時に
ほんのわずかな時間だったけど
所長と話をして感じたからである。
 
もちろんスタッフや学生と仕事をしている環境の中で
世代論全てを語れるほどに
簡単ではないかもしれない。
 
 
月並みだけど、
やはり生き生きとチャレンジングに
仕事をしている姿を見ると
相対的な尺度としての「若さ」の超越を感じた。
 
まだ、63歳である。
 
 
四万十市の庫裏や、
超ローコスト住宅にも
チャレンジしていかざるを得ない。

ブッディズム

クライアントにいただいたハーブティー
 
 
 
ここのところ休みが取れない。
 
体が休息を欲しているのがわかるのだが
休めない。
 
忙しいのを中断する勇気がないだけなのだ。
 
 
その悲鳴をあげている僕の体を察し、
高知「南国の家」の打合せの前に
クライアントはマッサージをしてくれた。
 
やはりアーユルヴェーダは
「静けさ」のテーマが必要かもしれない。
 
少し頑張ってブッディズムとデザインをするか否か。
 
マッサージのお蔭で疲れやコリが取れたが
期待が重くのしかかる。

慮る2日間

高知「望海ヶ丘の家」の現場にて。
 
 
 
 
昨日は徳島「城南町の家」の打合せ。
 
実施設計の最終的な打合せ。
 
マイノリティのデザインの可能性の写真を確認。
 
クライアントもコレには共感。
 
「ありです。」
 
その写真は一見デタラメにしか見えない
自然の様々な形象への新しい見方でもあろう、、、
 
 
 
人間の形には深い必然がある。
 
クライアントの考えも
その生命体とデザインとの関係は、
それほど深い関係を
持ち得ずにいるに違いない。
 
21時過ぎ、打合せ終了。
 
翌日の高知での打合せのため
徳島市内のホテルに泊まる。
 
夜中に起きて入浴、頭を洗う。
 
こういう時間は嫌いではない。
 
いろんなことを考えることが出来て良い。
 
ありがたい。
 
 
翌日、高知「望海ヶ丘の家」の心地よき小高い現場にて、
ニッポンの住宅をおもんばかる。

オープンデスクデス。


この雰囲気を残すことが出来たら、、、
 
 
火曜日は山口・玖珂と岩国で打合せのため、
久しぶりに新幹線に乗り込む。
 
一日の何時間を移動に費やしているが、
移動している時間の使い方をどうにかしなくては、、、
 
 
 
このところ、目まぐるしくいろんなことが並行しているので
頭の中は完全なカオス状態である。
 
帰りの新幹線でチョッと頭を休めることが出来、
ようやくにして日記メモをつける体力が湧いてきた。
 
月並みではあるが、前へ進みたい。
 
 
そして今週から、
ヤル気満々(で来てくれるはず)の学生が来る。
 
オープンデスクです。
 
彼のやる気が、きっと僕らの刺激になるでしょう。

「桑野の家」棟上げ

少しずつ体調は回復して、
やっと筆を走らせる気力も湧いてきた。
 
 
週末からの、徳島→高知→香川での打合せ。
 
日曜日は「桑野の家」の
バーベキューをしながらの棟上げ。
 
エキサイティングで個人的な肉体は
ほとんど破れかぶれ状態である。
 
 
 
その後は胸焼けと体力の減退を痛感した。
 
疲労と二日酔いかもしれない。
 
全く我ながら馬鹿者です。
 
0604-桑野の家棟上デビオ
 
one’s happy home!

モータリゼーション

翌日は大衆食堂の移転計画の打合せ。
 
学生のころが懐かしいなんて
甘言は通用しないし、
学生の街とは思えないくらい
この商店街の抱える問題は深刻である。
 
この町の商店街だけでなく、
僕が生まれ育った町の商店街もそうである。
 
 
 
モータリゼーションは
地方小都市の人の動きを
根拠のない形に変えてしまった。
 
その場所の歴史や文化とは関係なく
車は街を走り抜け
町の重心を変えてしまった。
 
商業の中心は移動し、
古い商業の中心は空洞化してゆく。
 
この話が舞い込んできた時には
この商店街を、この街を変えたいと考えた。
 
いささかヒロイックな気分になっていたことは
否めない。
 
いささかどころか、
スタッフと一緒に
肩をいからせていたかもしれない。
 
風塵舞い上がる街にブラリと出現して、
当たるを幸いなぎ倒し、
店主と共に悪いスーパーマーケットを
退治するなんて馬鹿げたことを、
全く考えてなかった
とは言えない。
 
実際、
この商店街がこの店の移転によって
変わるきっかけになったら
誇るだろうの思うくらいの、
そんな絶体絶命の商店街なのだ。

「香南の家」棟上げ

昨日は「香南の家」の棟上げ。
 
 
女性のための家づくりに関しては
我ながら肩の力が抜けて
依頼主の言うがままに作ることが多く、
 
それが家の全体にある種のゆるやかな
受容力を備えさせることになっている。
 
依頼主によって僕も開放されているのかな。
 
女性にただ弱いのだと言うのが
本当のことかもしれん。
 
 
面目ない。