カテゴリー別アーカイブ: かりそめ

発見的方法

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何か共通の反応があるのか。
 
反応の結果はさまざまな形をとっていても
その奥には何らかの法則が見いだせるのではないか。
 
と、何かを求めるべく足を運んだ。
 
想像のいとぐちは発見にあり、
発見は着目を変えることから始まるのだろう。

AかBか

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ガラスが入った。
 
天井の構造物が外部に連続しているけど
もう少し内部に近づけたい。
 
 
1215-askrco01
 
シンプルな屋根にしたつもりなんだけど。。。
 
難しいと文句を言いながらも
丁寧に仕上げてくれている。
 
1215-askrco02
 
 
もしAかBかといった
対立としてあらわれた場合は
そのどちらかではなく
もう一つ別のというものを求めたい。

棟上げ

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朝倉と三木町の棟上げ
 
 
文章でも書き出しや結びで
ピリッとしたりしなかったりするように、
建築の設計もいろんな条件を聞いて、
この手で行こうと直感的にその場でなにか生まれた時は、
なめらかに出発する。
 
句読点がないと、
どこに重点があるともわからない羅列が続いてしまうので、
やはりなにかこの手で行こうという核のようなものがあると
モヤモヤしたものが
次第にはっきりした姿になっていく。
 
1031-mk01
 

ホーバルベーグル

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限られた数のベーグルを週に2日、
11時から販売するという限られた時間と、
1坪足らずという限られたスペースで、
作る者がベーグルを通して
他空間へどのような効果が期待しうるか
設計者としてそれが確認できたことが収穫だった。
 
 
建築の堅さ柔らかさで言えば、
軒を低く深いものは
柔らかく人を受け入れやすくしている。
 
1019-HB02
 

打合せの帰り

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時間にすればせいぜい数分くらいのこと。
 
あるいは数秒だったかもしれない。
 
そんな短いすれ違いが
頭に鮮やかにこびりついてしまい
忘れられないものになることがある。
 
街角や街路ですれ違ったのが
とびきりの美女でなくても。

内部空間

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内部の打合せ。
 
彫刻と建築との違いは、
建築には「内部空間」があること、
人が中に入って
感じるものだということ、
が外から鑑賞する彫刻との
違いなんだろうな。

夏も終わろうとしている

亀甲竜

 
メキシコ亀甲竜(夏型)
 
冬に葉を落としてからというもの
春になれば復活する、
と期待してからもう夏が終わろうとする。
 
もちろん理性では知っている。
 
確かめるのが怖いのだけど、
それら沈黙を続ける植物は
すでに生命活動を終えているのだろうか、、、
 
もしかしたら
アフリカ亀甲竜(冬型)なのかもしれない、
 
と根拠もなく冬を待つことにする。

「青津参道の家」棟上げ

0924-青津参道

 
住宅の設計は、
たぶん事実小説を組み上げるのに
似ているのだと思う。
 
単に事実の羅列では
小説にならないように、
使い勝手を処理しただけでは
住宅にならない。
 
時代背景の中に位置付けるように、
気候や風景、歴史の中に収めるのである。
 
一方では予算や材料、
施工や法的なことなどの制約があり、
他方には世界観や人生哲学の
崇高さが求められ、
住み手の生活と関心や執着、
はたまた夢と現実を
満たさなければならない。
 
一つ一つの謎解きをしていくようなもので、
住み手と施工者と設計者とで
一つの作品に仕上げていく過程の中で、
希望と現実を繰り返すように、
紙の上から現場へと移り、
躯体が組み上がっていく。

ご来場ありがとうございました

0918-OH

 
お忙しい中、
また遠いところお越しいただき
ありがとうございました。
 
いつも思いますが、
どんな方法であれ
表現された建築を通じて人とつながるのは、
生きることの一部にすぎないですが、
その表現は
他の何ものにも遥かに超えて
大きいと思います。
 
そのような機会をくださった
クライアントのHさん、
ありがとうございました。
 
 
 
住宅のデザインというのは、
人生のあらゆる面が
凝縮して表現されるものなので、
わずかな紙面・文面では
とうてい述べきれません。
 
一人一人の人間と物とのつながりの中に
生じるものであり、
家の姿形は
家人の人生のあらゆる面から
生まれたものだと思います。
 
 
富も、地位も、利便も捨てて
物の世界に埋没し
一体感を味わえる恍惚境を生み出す手段、
物を徹底して人間の側に近づけることで、
星や月を眺めながら
うっとりと出来るスペースが
生まれるのでしょう。
 
0918-OH2

花咲かじいさん

0908-水やり

 
この夏、
猛暑でいくつかの植物がやられた。
 
それでも水をやってきたのである。
 
根が生きていれば
必ず息を吹き返すと信じ、
鉢や土を変えメネデールを注ぎ
世話をしてきた。
 
葉や土を湿らせるだけの行為を、
スタッフとじっと繰り返し続けたのだ。
 
愚かにも。
 
枯れ木に花を咲かせましょう、
と花咲か爺さんは言う。
 
作物と人間が密接だった時代、
あの民話をもっと切実に受け止めていたのだろう。
 
 
今では我が事務所では
枯れた植物を蘇らせる爺さんこそ
憧れの存在なのである。