
棟上げの日
静かに降る小雨が
まるで家の誕生を祝うかのように降り注ぐ。
:
「ここに家が建つ」
と言葉で言うのは簡単だけど
それが目の前で立ち上がる瞬間は格別である。
:
大工さんたちの熟練の技と
家に込められた多くの人々の想いが伝わってくる。
:
一つひとつの木材が積み重なり風景の一部となる。
そして今日のこの雨もまた
家の歴史の一部になっていくのだろう。
棟上げの日
静かに降る小雨が
まるで家の誕生を祝うかのように降り注ぐ。
:
「ここに家が建つ」
と言葉で言うのは簡単だけど
それが目の前で立ち上がる瞬間は格別である。
:
大工さんたちの熟練の技と
家に込められた多くの人々の想いが伝わってくる。
:
一つひとつの木材が積み重なり風景の一部となる。
そして今日のこの雨もまた
家の歴史の一部になっていくのだろう。
琴平新町商店街
鳥居の横に佇む新しい建物がその形を成すべく
地鎮祭が執り行われました。
:
寒の戻りの冷たい風が心地よくもあり
鳥居をくぐり抜ける人々の視線が
自然と新しい建物へと引き寄せられる。
:
歴史的な景観と調和しながら
建築は時と場所
そして人々との対話を紡ぐ言葉のように
静かにその存在を主張し始め
空間が語りかけるように
過去と未来が交差する場所に新たな物語が始まります。
§
1年近く放置していたコレも始まります。
:
打ち放しのコンクリートの肌を見ていると、
一見堅い粗い純重なようなその中に、
実に温かいものを見出す。
:
型枠が鉄だったり、
塗装されたピカピカした型枠や
鉋などで仕上げた綺麗な杉板だったりした時は、
折目正しい紳士のように
ピリッとして近づきにくくもなるし、
普通型枠や針葉樹合板の型枠は
節くれだってまるで労働者の手のようだが、
何とも親しみ易い。
:
これにモルタルなどで表面を包んでしまうと
一見滑らかに色むらもなく仕上ってしまうが、
厚化粧のような濃艶さと同時に
下手をすればいやらしさも見え隠れする。
§
南内町の家 型枠が外れる
:
建築におけるディテールが
最後の仕上げにかかわるとき
言葉における表現と似た状況であり
それはやがて装飾という形にもなるでしょう。
ところが言葉をどんなに修飾してみたところで
内容に変わりがなければ
国会答弁のようにすれ違いを生じ
ひどい時はごまかしたりする。
:
建物だってどんなに表面を飾ってみても
その骨組はごまかせるものではない。
表面が遊離していくだけだ。
:
底にしっかりした哲学が存在し
確固とした念があれば
表現におのずから現われ
建物の構造ががっちりしていれば
ディテールもまたそれに従って信頼を生むのだが
昨今の国会答弁は信じるに足るものではない。
:
自然エネルギー財団の
一件があったにもかかわらず国会ではとぼけ
一方で来月から電気代に含まれている
再エネ賦課金が値上がりし
省エネ義務化に向けてさらに拍車がかかるでしょう。
:
生活するということは、
自己をとりまく周辺を
自己の延長に取り入れることなのだろう。
となると2つの相反する力が働く。
1つは他者にそこを犯されないように守るということ。
もう1つはその場を広げる工夫である。
自己防衛と自己発展は生きているという証拠ともいえる。
そのありさまをこの場所で表現し
ここから新たに始まっていくのだろう。
:
天は重く地は堅く、
その間に広がるわずがな隙間に人間は住んでいる。
その隙間にさらに隙間を作るように
コンクリートで床を持ち上げ
その上に木造の建物が建つ。
1階がコンクリート造
2階が木造の混構造の建物
さながら各階ごとに様式の違う
金閣寺のようでもある。
:
畑であるこの土壌を
建築出来る場へ変換させていくことになるが、
この豊かな土壌を安易に造成し建築し
この場所のみで完結するのではなく、
ここで取れる作物や人々が循環してつながって
さらには広がっていかなくてはならない。
:
木々はそれぞれの姿を
それぞれの法則に従ってあらわしているのに、
全体としての森や山林も
またひとつの性格をかたち作り統一されている。
木の葉や花も集団としても美しいが、
一本一本の独立した木も力強さを出現している。
:
独立した木の根っこのように鉄筋が群生し、
これらは浮遊する住居を支えてくれる。
:
葉っぱは傘になり、
傘は屋根になり、
屋根は建築になる。
新たな空間はこんなふうにして出来る。
:
棟上げが終わり
誰が図面を書いたのかと
小言を言いながらも、
大工さんは粛々と垂木を架けていく。