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計画地を見に行ったついでに丈六寺を訪ねる.
ここは「禅宗建築の粋」なんて言われるけど
石段を登り切ったころには
建築美を味わうより先に膝が笑う.
で、その膝の震えが妙に禅的なんだな.
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でもただの古寺じゃない.
戦国のときには火だの血だの散々な目にあっている.
普通なら跡形もなく消えるところを
丈六寺はちゃっかり残っている.
柱や梁だってちょっとすすけた顔で
「いやぁ、昔はいろいろあったんですわ」
って言っているような気さえする.
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それでいていまも地域の人が集まって
祈ったり祭りをしたりする.
観光用の「古刹」じゃなくて
ちゃんと人の生活に組み込まれている.
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寺っていうのは建築の博物館じゃない.
日々の呼吸が染みついているから生きている.
「静寂の古寺」とはちょっと違う.
むしろ賑やかな「日常の寺」
そういうのが本当は建築を生き生きさせるんだろうな.
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結局丈六寺は「禅宗建築」で「戦国の悲劇」で「地域の拠点」
どれか一つに絞ろうとするとするりと逃げる.
だから面白い.
見る人それぞれに違う顔を見せる.
掴みどころがないようでいてそこが魅力なんだと思う.













