
物をつくる時には
惜しげもなくエネルギーを注ぎ込む。
物をつくるとは
その物に生命を移すことだともいえる。
私たちが物を通じて
その奥にあるものを知り
感動を受けるのは、
注ぎ込まれた生命の多さによるのだろうか。
この現場は多くの職人の息吹が
吹き込まれて再生されていく。
物をつくる時には
惜しげもなくエネルギーを注ぎ込む。
物をつくるとは
その物に生命を移すことだともいえる。
私たちが物を通じて
その奥にあるものを知り
感動を受けるのは、
注ぎ込まれた生命の多さによるのだろうか。
この現場は多くの職人の息吹が
吹き込まれて再生されていく。
碧い空と碧い海が似合うこの現場は
あいにくの曇り空。
それでも柔らかい日差しが
迎えてくれる玄関の天井。
思いのほか
私の駄文を見てくださってる
根気強い読者がいることに気付き
反省し、
再び綴っていこうと自らを戒めるつもり(ではないですが)で、
金刀比羅宮の785段を上がった。
プルプルする膝にちょっとでも
「考えさせてくれよ」
と言った態度を見せる場合には、
外界から内界に変換される価値が出発点となる、
はずだったが
1368段の奥社への出発点にはならなかった。
建築と自然環境との調和。
人間の身体は体内で時間を感じるようになってます。
体内時間のリズムを守りながら
季節の移ろいを感じるような空間が
ここから生まれるでしょう。
風、水、太陽、星、緑
そして遠くに見える水平線を直接的に取り込みます。
建築的な空間とは感覚的な体験なのでしょう。