:
~半年ほど前の話~
:
伊勢神宮の帰り、
少し遠まわりだけど
どうしてもこの目で確かめたかった
近江八幡にあるラ コリーナへ、、、
:
ムンムンする草いきれのこもる
正面の庭を通り抜け、
フジモリ建築が出迎えてくれる。
草屋根の建物をあっさりと通り抜けると
田んぼやそれを包み込む建物群が広がっていて
悠々しく僕たちを迎えてくれた。
:
建物の存在よりも
生命と大地を感じる。
田んぼとそこに点在する
7つの石がそうさせているのか、
建物と地面の接するデザインが
そこに存在するか否かを
感じさせているからなのだろうか、、、
:
朝7時、歩いて通勤。
毎朝旭川の土手を歩くのが心地いい。
徐々に仕事モードに切り替えていく。
切り替えが早すぎると
心地いい景色が
立面図に見えてくる。
:
取手、握り棒、ハンドル、ツマミ
扉には開け方によっていろんな引手がある。
今回の引手は、押すのか引くのか
一見どうしていいのか戸惑ってしまう。
そんな時そっと手を添えて
素材に聞いてみると
答えが返ってきそうな引手にしたかった。
:
当初ステンレスで考えてたけど
Yさんと検討に検討を重ね
鉄の方が柔らかさを表現できるので
急遽鉄に変更。
きっと優しく答えてくれるだろう。
:
人間自身が本来は
自然の中のいち動物である
ということだけは逃れ得ない事実。
太陽と緑と空気とは
人間の基本的な歓びの
源泉である。
:
:
社会的・文化的・歴史的に
「価値を持つ」とみなされる景観は
人々に非日常を体験的に
与えてくれる存在として
特別扱いされるが、
私たちが日常生活で触れる景観は、
生活の中にあるが故に
その価値を認められることは
ほとんどない。
:
続く
:
写真は月山富田城跡
:
作家さんの家
:
黄昏がせまるころ
西の空はるか下に
ゆらめく炎のような夕焼けが眺められた。
どの時代でも見たことのある景色で、
移り変わる美しい空の表情と感情とが
合わさって記憶が蘇る。
ガラスに映り込む夕陽を楽しみながら、
作ってるんだろうな…
:
20坪の敷地に15坪のちいさな家
:
小さな住宅の設計をするにあたって、
住まい手にとって
又は設計者にとって
何が大切で、何が必要ないのか
明確にしなければならない。
また小さければ小さいほど
人の行動や身体感覚への眼差しが
如実にあらわれてくるので
設計は難しい。
:
重源が再現し
現存する東大寺南大門は
ただの門なのだけど、
周防国から切り出された
木々によるその架構は
森のエネルギーを
感じるほどの構造体だった。
:
:
居心地やデザインをいかに表現するか…
なんてことを考える反面、
お店は人物と味がうまくかみ合えば、
それ以上のことは何も必要ないのではないか、
なんてことも思ってみるもののやっぱり、
お店の雰囲気と人柄と味は
切っても切り離せないのだと
つくづく思う。
:
中に入ったはずなのに外のようなあいまいな玄関。
窓を開けると空気が流れ、
四季があり
緑のカーテンで日差しをやわらげる。
建物の中で暑さや寒さを感じたり、
季節の移り変わりを感じたり出来ることは
大切な要素です。
: