Monthly Archives: April 2025

日本酒のお店と家と

瀬戸内に浮かぶ島の光はやわらかく

それでいてどこか鋭い.

その光の中にちいさな集落が息づいている.

三方を細い道に囲まれた土地に

これから一つの家を建てる.

家といっても、単なる住まいではない.

日本酒をふるまい

器を売り

人の行き交う場所だ.

豪奢なものではなく瀬戸内の海風に吹かれながら

島の土と話し合うような

そんな家だ.

玄関はひとつの物語になるだろう.

ただの出入り口ではない.

奥へ奥へと、心を運ぶ通り道.

道に開き

島に開き

人に開く

奥行きのある場所.

外から中へ、中から奥へ.

玄関はそんなふうに

あいまいにふくらんでいく.

道に面して開かれた軒下空間.

そこにはきっと島の人や

この島に訪れた人たちが腰掛けるだろう.

酒を傾け、器を手に取り、語らうだろう.

海から渡る風と、島にしみこんだ記憶と.

すべてがこの場所に、少しずつ滲み出していく.

高知城

時間が出来たので高知城に立ち寄る

それは山に立つ“物見”である以前に

土佐という場所の記憶そのもののようである.

野面(のづら)積み

打込(うちこみ)接ぎが絡み合う石垣は

まるで生き物の背骨のように積まれている.

隙間のような余白のようなその積層は

明治の合理主義も戦後の機能主義も

未だ到達し得ぬ「構え」を体現している.

そして天守

四重六階の構造は

外観の抑制と内部空間の豊かさとの対比を孕んでいる.

ここには平地にそびえる西洋式の王宮的エゴイズムはなく

あるのは地を這いながらも天を仰ぐという日本建築の美学.

高知城は、破壊と再建を経てもなお

その「思想」を失っていない.

土佐藩主・山内一豊のために建てられたが

それは「殿様のための箱」ではなく

民の祈りと汗が蒸発して凝固した“場”である.

小高い丘の小さな学校

小高い丘の上にぽつんと姿を現した校舎は

どこか遠い記憶を呼び覚ます.

赤茶色の屋根は夕陽を吸い込みながら

なおも土の匂いを纏っている.

それは新しいのに

なぜか昔からそこにあったような佇まいで

風の通り道をよく知っている.

深く張り出した軒は雨をしのぐばかりではない.

ひとつの時間を抱える場所として

子どもたちの声や沈黙をそっと包みこむ.

小さな空間が大きく息づいているのは

そこに「余白」があるからだ.

建築が人の営みを待っている.

そんな気配がもう漂っている.

多島美

十五坪の宿の長屋計画

小さな、実に小さな空間である

だけど人は狭さを憂うばかりではなく

その狭さにこそ心の自由を見出すこともある

ここは生口島の島の中腹

瀬戸内の静けさに包まれ

時に忘れられたかのようなところである

この地はかつて海の道を見張る者たちの拠点だった

村上水軍、ただの海賊ではない

秩序と混沌のあいだで海の暮らしを守り続けた者たち

その眼差しが注がれた瀬戸内の島々が今静かに佇んでいる

多島美とはよく言ったものだ

島と島とが折り重なり海と空の境界がほどけていく

その風景にかつての文人も旅人も

そして今を生きる我々もまた

心を奪われずにはいられない

蕪村も子規も詠んだこの海

「海と空 わけても青し 瀬戸の春」

言葉は時を越え

風景と交差し

この宿の窓辺にも静かに降りてくる

十五坪の暮らしは喧騒を離れた贅沢であり

風と光の遊び場である

瀬戸の島影とともに暮らす

そんな時間がここには確かに息づいている