Category Archives: ケンチクノコト

新庄の家 棟上げ

今回の計画地の新庄地区は

時間と風土が織りなす繊細な織物のように

歴史と自然が静かに重なり合う場所である.

ここでは人々の営みが、

季節の移ろいとともにかたちを変え

古きものと共に息づいている.

文化とは単なる記憶ではない.

生きられる風景であり

語られる空気である.

この地を象徴する「新庄の長溝」は

構築というより

“耳を澄ますこと”から始まった風景である.

庄屋・岩政次郎右衛門は

干ばつに喘ぐ村の沈黙に応え

地形に沿って水の道を刻んだ.

水は流れるだけでなく

祈りであり構造であり村の心を内側から潤した.

今もなおその用水は

風景に沈殿する時間のように静かに脈打っている.

その水音の中

梅雨明けの空の下で家が建ちはじめる.

棟が上がるとは

地と天を貫く意志が立ち上がること.

柱は天を支えるのではなく

空を受け取る準備をしているようだ.

土地のわずかな癖が

垂直や水平に揺らぎを与え

光と風の通り道をかたちづくる.

直線は緩み、折れ

視線はゆっくりと遠くへと抜けていく.

中庭には空が降り

光や雨、影が季節とともに満ち引きする.

家は内と外を区切らず

にじませ融かし編み直す.

家族という存在もまたその揺らぎの中にある.

構造のようでいて流動的.

空間とともにほどけ、結ばれ

季節のように変化していく.

建築とは風土に耳を澄ませ

時間に応答しながら

生きる場を紡ぐことなのだろう.

蛇王神社にいく

今年は乙巳

干支のめぐり六十年に一度だそうだ.

知らなかった.

知らなくても足は動いた.

その重みを知らぬまま

撮影の帰途ふと足をとめた.

寄り道だ.

寄り道はたいてい正しい.

陽は高く

だが木々の間をすり抜ける影が

まるで水のようにやわらかく

体を包んだ.

ふと立ち寄ったのは

丘の上にひっそりと息づく

森に抱かれた神の座.

そこに神社がある.

名前は聞いたことはなかった.

地図にもたぶん小さくしか載っていない.

だがそこに存在する.

空間が結界をつくっている.

鳥居も石段も自然も

ひとつのからだのように繋がっていた.

祭神は白龍大神.

白蛇を従える.

いや白蛇こそ神の貌(かお)か.

蛇とはなにか.

地を這い姿を変え

脱皮し再生するもの.

それは大地の記憶であり

人の恐れであり

希望の形代でもある.

神社とは建築か?

いやそうではない.

人間が自然に向けて開けた小さな穴

その穴のなかから、

なにかがこちらを覗いている気配さえ感じる

ただの寄り道が記憶の地層に爪を立てた.

そういう日もある.

そういう年だったのかもしれない.

水平線にひらく

四万十で撮影

終の住処としてこの地に身を運んだ.

広大なる太平洋

屹立する山々

その狭間に突き出た高台に

ひとつの「いえ」を据えた.

素材は語る.

光が応える.

それらは空間のなかで響き合い

ひとつの舞台をつくる.

かたちには理由があり

素材には時間が宿る.

スケールは揺らぎ

秩序はそれらを優しくつなぎとめる糸となる.

そしてある朝

空がにわかに染まり

風がささやく.

ここがわたしたちの居場所だと.

配筋検査へ

配筋検査のため柳井へ

鉄と土の対話を見届ける儀式みたいなもので

図面に描かれた直線が

現場でわずかに揺らぎ

地の癖と人の手がそこに滲む.

鉄筋はただの素材ではない.

やがて家の骨となり

見えなくなるものだ.

だからこそこの瞬間に目を凝らす.

鉄が正しく並び

組まれ結ばれているか

その一筋一筋に

設計の意図と現場の知恵が宿っている.

配筋は語る.

家が立ち上がる前に

その命の流れがここにあると…

琴平の家 棟上げ

日差しが静かに街を包み込むなか

琴平新町の鳥居のそばで

一本の柱がそっと立ち上がった.

やがて梁がかけられ

空と地面のあいだにひとつの秩序が生まれる.

それは何かを主張するのではなく

ただ静かにそこにあるということの

意味を問いかけてくる.

木は木として

職人は職人として

過不足なく役割を果たし

建築という形をそっと支えていく.

この場所に必要とされたものは単なる機能ではない.

時間に耐え、時に寄り添い

やがて風景と呼ばれるものと

やわらかく結びついていく存在.

人々がそこに身を置き

心を澄ますための場.

棟が上がるということは

建築がようやくひとつの呼吸を

始めるということかもしれない.

その息づかいを

人々は言葉にせずとも感じている.

鳥居をくぐるたびに

ふと視線がその方へ向かう.

それは建築が町の時間の一部となる瞬間だった.

日本酒のお店と家と

瀬戸内に浮かぶ島の光はやわらかく

それでいてどこか鋭い.

その光の中にちいさな集落が息づいている.

三方を細い道に囲まれた土地に

これから一つの家を建てる.

家といっても、単なる住まいではない.

日本酒をふるまい

器を売り

人の行き交う場所だ.

豪奢なものではなく瀬戸内の海風に吹かれながら

島の土と話し合うような

そんな家だ.

玄関はひとつの物語になるだろう.

ただの出入り口ではない.

奥へ奥へと、心を運ぶ通り道.

道に開き

島に開き

人に開く

奥行きのある場所.

外から中へ、中から奥へ.

玄関はそんなふうに

あいまいにふくらんでいく.

道に面して開かれた軒下空間.

そこにはきっと島の人や

この島に訪れた人たちが腰掛けるだろう.

酒を傾け、器を手に取り、語らうだろう.

海から渡る風と、島にしみこんだ記憶と.

すべてがこの場所に、少しずつ滲み出していく.

小高い丘の小さな学校

小高い丘の上にぽつんと姿を現した校舎は

どこか遠い記憶を呼び覚ます.

赤茶色の屋根は夕陽を吸い込みながら

なおも土の匂いを纏っている.

それは新しいのに

なぜか昔からそこにあったような佇まいで

風の通り道をよく知っている.

深く張り出した軒は雨をしのぐばかりではない.

ひとつの時間を抱える場所として

子どもたちの声や沈黙をそっと包みこむ.

小さな空間が大きく息づいているのは

そこに「余白」があるからだ.

建築が人の営みを待っている.

そんな気配がもう漂っている.

多島美

十五坪の宿の長屋計画

小さな、実に小さな空間である

だけど人は狭さを憂うばかりではなく

その狭さにこそ心の自由を見出すこともある

ここは生口島の島の中腹

瀬戸内の静けさに包まれ

時に忘れられたかのようなところである

この地はかつて海の道を見張る者たちの拠点だった

村上水軍、ただの海賊ではない

秩序と混沌のあいだで海の暮らしを守り続けた者たち

その眼差しが注がれた瀬戸内の島々が今静かに佇んでいる

多島美とはよく言ったものだ

島と島とが折り重なり海と空の境界がほどけていく

その風景にかつての文人も旅人も

そして今を生きる我々もまた

心を奪われずにはいられない

蕪村も子規も詠んだこの海

「海と空 わけても青し 瀬戸の春」

言葉は時を越え

風景と交差し

この宿の窓辺にも静かに降りてくる

十五坪の暮らしは喧騒を離れた贅沢であり

風と光の遊び場である

瀬戸の島影とともに暮らす

そんな時間がここには確かに息づいている

小さな学校の棟上げ

石を根とする大黒柱は真ん中に鎮座し

八角形の空間へと枝を広げる

屋根の架構は麻の葉

その文様は強靭にしてしなやかで

生命の力が編まれたかたち

その包まれた空間のなかで

子どもたちは息づき伸びていく

棟上げ~変形地

 

敷地を読むという表現をすることがあります。

敷地にも文脈があり

それを読み解いたりします。

廻りの環境や背景などそこに居続けることで

少しづつ見えてくる情報があります。

 

背景の蔵を取り込みました。