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徳島の街の中で
地鎮祭が執り行われた。
11月も終わりだと言うのに心地いい。
真昼の高い光が街の影を落とし、
街はまぶしいくらいに輝いて、
季節外れの心地良い風を感じる。
その風に背中を押されるようにして
新たな現場が始まっていく。
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徳島の街の中で
地鎮祭が執り行われた。
11月も終わりだと言うのに心地いい。
真昼の高い光が街の影を落とし、
街はまぶしいくらいに輝いて、
季節外れの心地良い風を感じる。
その風に背中を押されるようにして
新たな現場が始まっていく。
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自然をいくら恐れても
恐れすぎることはない。
だけど壊したら
簡単には花は咲かない。
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人の手が加えられていた土地に、
少しでも自然に戻せたらという思いで
石を積んでいく。
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柱が規則正しく親密に立ち並び、
風が吹き抜ける。
濃密に立ち並んだ列柱の森は
人々の太古の記憶を呼び起こす。
人馬の歴史が続き
パートナーとして発展していく。
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空は果てしなく広がっている。
野を越え、畑や山を越え、
たどり着いたのは岡山の県北の山の中。
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クライアントはそこに溶け込んでいるような人柄で
その人のもつ雰囲気からだけでなく、
装飾を削ぎ落とし萌芽のような
素直でおおらかな建築を
つくりたいと思った。
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この町には資源がある。
山や川、田畑といった自然資源と、
歴史、文化、芸術といった社会資源が
「基盤」となっているが、
この資源と言える景色・景観が
当たり前のように
通り過ぎていくようにも感じた。
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景観というのは
つかみどころがないようだけど、
「誰か」だけではつくり得ないその風景は
切れ目なくつながっていくと同時に、
なんとなく出来上がってしまうもののような気がしている。
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~半年ほど前の話~
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伊勢神宮の帰り、
少し遠まわりだけど
どうしてもこの目で確かめたかった
近江八幡にあるラ コリーナへ、、、
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ムンムンする草いきれのこもる
正面の庭を通り抜け、
フジモリ建築が出迎えてくれる。
草屋根の建物をあっさりと通り抜けると
田んぼやそれを包み込む建物群が広がっていて
悠々しく僕たちを迎えてくれた。
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建物の存在よりも
生命と大地を感じる。
田んぼとそこに点在する
7つの石がそうさせているのか、
建物と地面の接するデザインが
そこに存在するか否かを
感じさせているからなのだろうか、、、
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朝7時、歩いて通勤。
毎朝旭川の土手を歩くのが心地いい。
徐々に仕事モードに切り替えていく。
切り替えが早すぎると
心地いい景色が
立面図に見えてくる。
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取手、握り棒、ハンドル、ツマミ
扉には開け方によっていろんな引手がある。
今回の引手は、押すのか引くのか
一見どうしていいのか戸惑ってしまう。
そんな時そっと手を添えて
素材に聞いてみると
答えが返ってきそうな引手にしたかった。
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当初ステンレスで考えてたけど
Yさんと検討に検討を重ね
鉄の方が柔らかさを表現できるので
急遽鉄に変更。
きっと優しく答えてくれるだろう。
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人間自身が本来は
自然の中のいち動物である
ということだけは逃れ得ない事実。
太陽と緑と空気とは
人間の基本的な歓びの
源泉である。
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社会的・文化的・歴史的に
「価値を持つ」とみなされる景観は
人々に非日常を体験的に
与えてくれる存在として
特別扱いされるが、
私たちが日常生活で触れる景観は、
生活の中にあるが故に
その価値を認められることは
ほとんどない。
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続く
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写真は月山富田城跡