骨組みと修飾

建築におけるディテールが

最後の仕上げにかかわるとき

言葉における表現と似た状況であり

それはやがて装飾という形にもなるでしょう。

ところが言葉をどんなに修飾してみたところで

内容に変わりがなければ

国会答弁のようにすれ違いを生じ

ひどい時はごまかしたりする。

建物だってどんなに表面を飾ってみても

その骨組はごまかせるものではない。

表面が遊離していくだけだ。

底にしっかりした哲学が存在し

確固とした念があれば

表現におのずから現われ

建物の構造ががっちりしていれば

ディテールもまたそれに従って信頼を生むのだが

昨今の国会答弁は信じるに足るものではない。

自然エネルギー財団の

一件があったにもかかわらず国会ではとぼけ

一方で来月から電気代に含まれている

再エネ賦課金が値上がりし

省エネ義務化に向けてさらに拍車がかかるでしょう。

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