高知城

時間が出来たので高知城に立ち寄る

それは山に立つ“物見”である以前に

土佐という場所の記憶そのもののようである.

野面(のづら)積み

打込(うちこみ)接ぎが絡み合う石垣は

まるで生き物の背骨のように積まれている.

隙間のような余白のようなその積層は

明治の合理主義も戦後の機能主義も

未だ到達し得ぬ「構え」を体現している.

そして天守

四重六階の構造は

外観の抑制と内部空間の豊かさとの対比を孕んでいる.

ここには平地にそびえる西洋式の王宮的エゴイズムはなく

あるのは地を這いながらも天を仰ぐという日本建築の美学.

高知城は、破壊と再建を経てもなお

その「思想」を失っていない.

土佐藩主・山内一豊のために建てられたが

それは「殿様のための箱」ではなく

民の祈りと汗が蒸発して凝固した“場”である.

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