棲むというコト」カテゴリーアーカイブ

お礼

先日の「藍住の平屋」のオープンハウス、
遠いところ沢山のご来場、
ありがとうございました。

住宅に対する想いは様々です。

住まうことに何が正しいか、正しくないか
答えは見つからない。

正解ばかりが求められる昨今
ここに住むおおらかな息づかいが
感じられる場所になりました。

「むぎなわ」左官工事はじまる

 
素材が汗ばみ、
素材がちぢまり、
素材は伸びる。
 
有機的形態に向かっている現実に
ドキッとするが、
それらを把握出来つつある現場に、
ホッとする。
 
今週、麦縄の里のみんなが
土壁をベタベタと
生命を移してゆく。
 
0307-mgnw02Resize

「大安寺の家」外構工事がはじまる

 
内装工事はあと少し。
これから外構工事にはいります。
 
 
空気を含み、
光を吸い込み、
風を眺め、
人や物をも抱擁する。
 
 
柔らかく包み込む場所が出来そうです。

低い庇

 
低い庇は外壁の周辺に
身体に近いスケールの空間をつくり
建物自体を親しみやすいものに変容させる。
 
庇が建物の周りに生み出す空間は
内部から外部へと広げ、
同時に外部から内部へと
引き寄せるきっかけをつくっている。
 
1023-日下02

場所らしさ

 
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立川の森クリニック 棟上げ
 
建築がその建つ場所を映し出すことを望んでいます。
 
その場所を歩きまわり、
土地が培ってきた表情を学び、
その場所らしさを表現するためのきっかけを
掘り起こしていきます。
 
その表情が少しずつ現れてきます。
 
1018-SDSR
某ショールーム
 
1018-ksk
日下の家 棟上げ前

見下ろす世界

 
先日は「松並木の家」と「対の棲家」の写真撮影。
 
 
昔、銀河鉄道999が好きだった。
 
新しい星に到着して
車窓からその世界を見渡す。
 
安全で親密な列車の中から見下ろすその世界は、
いつも危険と蠱惑に満ちていて、
しかもその中で無数の生命や生活が
絡み合っていると思うと、
その果てしなさに子供ながら興奮した。
 
 
ドローンはそんな記憶を蘇らせてくれる。
 
0929-対の棲家

「藤原光町の家」オープンハウス

 
このたび岡山市中区で
設計監理を進めてまいりました
「藤原光町の家」が竣工します。
 
クライアントのご厚意により
10月3日(土)、4日(日)オープンハウスを行います。
 
お時間が許すようでしたらぜひお越しください。
 
安心してご見学頂けるよう混雑を避ける為
予約制とさせていただいております。
 
ご予約は下記、TEL・メールにて
お問い合わせください。
 
現地の場所については
ご連絡いただきました方に
こちらからご案内いたします。
 
 
TEL:086-235-5516
Email:info@k-tenk.com
 
 
不在により電話がつながらない場合は
お手数ですがメールにて予約をお願いいたします。
 
受付は10/2(金)17:00までとさせていただきます。
 
 
§
 
風の揺らぎ
木々のざわめき
トップライトからは光を落とし、
木洩れ日と暮らしの模様を描く。

甘え

 
ご多分に漏れず、
シンプルな平面計画に切妻屋根。
 
施主の要望と、設計者の欲望。
 
つまり甘える豊かさをこれから形にしていく。
 
いろんなお菓子を一度に食べてみたい、
おもちゃを箱から全部取り出してから遊びたい、
というように。
 
大人たちがバカらしい、
意味がない、
効率が悪い、
と顔をしかめるようなことを、
茶目っ気たっぷりに
やってみようという甘え。
 
甘えを言うのはそれ自身よりも、
それを受け入れられる前提が
あるということの方が重要だと思う。
 
そして上手に甘えさせることが出来るのは、
甘える喜びを十分知った大人。
 
上品なあまやかしは芳醇で豊かです。
 
 
0528-藤原光町02
 
0528-味野城
 
解体で出てきた石の積み木を、
どうやって遊ぼうかと。

陽は昇る

 
1年ほど前にお引渡ししたお家の撮影。
 
目の前に広がる太平洋を受け、
そこから昇る陽を眺めると
現実を忘れてしまいそうである。
 
 
「新しい現実」に対して、
私たちはどう変化し、適応していけばいいのか。
 
元に戻るのではなくプロセスを変える。
 
これを踏まえて
進化していくという気持ちを
持つことなんだと思う。
 
各々が新しい現実に合わせて、
人間の文化や社会を
ポジティブに成長させていかなければならない。
 
 
陽は落ちまた昇る。
 
 
朝早くからの立ち合い、
ありがとうございました。

生活の場

 
人と人との関係は
多くは利害関係で
結び合っているのかもしれない。
 
しかしその利害関係も
物質的なものから
次第に精神的なものへと
発展しようとしている。
 
裸の人間になったとき、
どれだけ利害が違うであろうか、、、
 
小さな仕事も大きな仕事も
本来の姿に帰った人どうしでつくるものは
これからの家づくりの理想である。
 
 
そして建築が生活の場として
つくられるとするならば、
建築の価値判定の尺度は
生活そのものにあり
生活の場とはどういうものであろうか、、、
を考えさせられる。