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防衛と発展の本能

生活するということは、

自己をとりまく周辺を

自己の延長に取り入れることなのだろう。

となると2つの相反する力が働く。

1つは他者にそこを犯されないように守るということ。

もう1つはその場を広げる工夫である。

自己防衛と自己発展は生きているという証拠ともいえる。

そのありさまをこの場所で表現し

ここから新たに始まっていくのだろう。

天と地のわずかな隙間

天は重く地は堅く、

その間に広がるわずがな隙間に人間は住んでいる。

その隙間にさらに隙間を作るように

コンクリートで床を持ち上げ

その上に木造の建物が建つ。

1階がコンクリート造

2階が木造の混構造の建物

さながら各階ごとに様式の違う

金閣寺のようでもある。

書き出し

文章を書く時

書き出しや結びでピリッとしたり

しなかったりするように

建築の設計も

施主からいろいろな条件を最初に聞いていて

この手で行こうと

直観的にその場で何か生まれた時には

なめらかに出発する

その時に描いた茫漠としたスケッチは

最後まで大切に保存して

頭の中に焼きつけて置かないと

結びの頃になって

すっかりずれてしまうことになる

soil village ~4.ドジョウ~

畑であるこの土壌を

建築出来る場へ変換させていくことになるが、

この豊かな土壌を安易に造成し建築し

この場所のみで完結するのではなく、

ここで取れる作物や人々が循環してつながって

さらには広がっていかなくてはならない。

根っこ

木々はそれぞれの姿を

それぞれの法則に従ってあらわしているのに、

全体としての森や山林も

またひとつの性格をかたち作り統一されている。

木の葉や花も集団としても美しいが、

一本一本の独立した木も力強さを出現している。

独立した木の根っこのように鉄筋が群生し、

これらは浮遊する住居を支えてくれる。

葉っぱ

葉っぱは傘になり、

傘は屋根になり、

屋根は建築になる。

新たな空間はこんなふうにして出来る。

棟上げが終わり

誰が図面を書いたのかと

小言を言いながらも、

大工さんは粛々と垂木を架けていく。

完成間近

素材と光が重なり合う。

空間の中に形態、素材、スケールの多様性と

それらを結びつける秩序を用意した時、

きっと近い将来に

ウズウズと自慢の虫が

うずき始めるでしょう。

新年

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

年初から大きな災害が発生しました。

能登半島地震により被災された皆さま

ならびにそのご家族の皆さまに

謹んで心よりお見舞い申し上げます。

写真は、実家に帰省した際

広島県江田島での新規計画の敷地から見た写真です。

人がつくる世界には

人が集まることによって出来る

人と人との関係から生まれる世界。

ものをつくり表現を好む人がつくり出した

ものと人との関係から生じる世界。

人が作ってきたものが増え大きくなったため

人類がすっぽりその中に入れられてしまう人工的な世界。

色々な世界や風景があります。

下を向けば身の回りの埃

足元の雑草、地軸

上を向けば青い空や光る星

何億光年というわけのわからない寸法

朝昼夜

春夏秋冬

二度と同じことはない

今年も線を引き現場にも立つ。

誰が風景を変えているのか

風景が私を変えているのか、、

まぁとにかく今は素敵な風景に出会えるよう

線を引き続けるしかない。

1日も早い復興、

そして被災された皆さまの生活や町の風景が

平穏に復することをお祈り申し上げます。

雲海の見える場所で

改修工事のため和気町の辺縁の地に現調。

運が良ければ雲海も見ることが出来る場所。

運が悪ければ巨大なパネル群が突如として現れる。

未だ山林を切り崩し、

メガソーラーは肥大化し続けていく。

山や川、地球が破壊されていくこの姿が、

はたしてクリーンエネルギーなのだろうか…

コレらが機能しなくなった20年後を想像すると…

考えさせられる。

内と外の間で

扉の外の景色の微細な変化を

より際立つために、

内外の空間を噛み合わせ、

近景の奥行きを深める。

生活が環境の移ろいに敏感になり、

自然と意識は外へ向かう。

建築はそのための

静かな骨格であれば良い。