カテゴリー別アーカイブ: 家づくり

「光と闇」

0507-01

近代建築の志向性は、
住居が持っていた家の中の
「闇」の部分を、
意味のないもの
わけのわからないものとして否定し、
排除して来た感がある。
 
もともと森林のサルから
進化してきた人間にとっても、
闇は恐れおののく空間だったかもしれないが、
一方では外敵から身を隠すことの出来る
安全な空間でもあった。
 
 
考えてみれば、
光と闇があるように、
苦あれば楽ありで、
大きくたって小さくたって、
難工事であればあるほど
創作の喜びは大きいと思う。
 
千利休の茶室や鴨長明の方丈の庵の愉悦は
想像以上のものであったのかもしれないですよ。
 
もっと過激に言えば、
建築そのものが
脳を気持ちよくする快楽物質なのです。
 
建築をすれば誰でも気持ちよくなれる、
そうささやいてるんですよ、
 
きっと。
 
 
0507-02
 
上の写真は浴室。
最終的には土の中にいるような感じになればと思っている。
 
もう一枚は床材を仮置きしている写真。
大工さんもだんだん麻痺、
いえ楽しんでくれてる、と思う。

空間を分ける

0502-草屋根の家

空間を分ける要素として、
壁やガラス、建具といった物理的なものや
高低差や距離、配置などの空間的なもの、
色や素材、明るさなどの記号的なものなどがある。
 
一般的に「これくらいは必要なのではないか」とされる空間のサイズや
定番の素材から抜け出した空間には
快適性や意匠性以上のものが生まれる可能性がある。
 
 
草屋根の家では
フレキシブルであいまいな空間を求めていくと同時に
20坪の小さなヴォリュームから
新しいものが生まれるのではないかと期待が膨らむ。
 
 
0501-足場
上の写真は定番の素材から抜け出した足場板。
小さな家をたくさんの人の手を借りて
出来上がった証になるだろう。

屋上○○計画

0812-屋上03

久しぶりに事務所の屋上に上がる。
 
この灼熱の中
フツフツと沸騰し始めるものを感じる。
 
 
屋上緑化計画はいまだ進行中なのだけれど、
この場所を使うことに関して言えば、
緑化だけが目的ではない。
 
それらを通じて何かを発信していく場所の
一つであるとするなら
これからの家づくりと錆びれかけた街へ投げる
一つの疑問符なのだと思っている。
 
これをやってみるからこそ、
今の街づくり、家づくりが砂上の楼閣であることを
伝えることが出来るのではないだろうか。
 
みんなそれはウソなんだよと、
王様は裸だと叫んだ子供のように、、、
 
 
限られた時間の中で
まずは動いてみますか?
 
平野。

技術と根気

0808-玉川の家01

先日は今治市『玉川の家』の棟上げ。
 
規則性を持ったヴォリュームが
機能的に反復され、
それぞれが肩を寄せ合い、
広い敷地の中で
凛とした骨格が現れる。
 
 
暑い日の中での棟上げ。
 
建築を作る上で
技術と根気というのは大切だなぁ、
としみじみ思う。
 
豪快さと繊細さ
おおらかさと正確さ
単純さと複雑さ
 
同時に存在しなくてはならない
相反する要素を紡ぎ合わせられるのは
技術と根気の力なのだ。
 
汗だくになっている大工さんをみていつも思う。
 
 
0808-玉川の家02
5間(9.1M)豪快に飛ばしている梁。
 
 
0808-高松番町の家
『高松番町の家』の地鎮祭。
氏神さまと打ち合わせ中の神主さん。

三丁目の棟上げ

0725-西大寺の家

先日は「(仮称)西大寺の家」の棟上げでした。
 
 
ここに至るまでのプロセスはとても長く、
もちろん建て主にとっては一生の買い物なので
吟味に吟味を重ねてのプロセスでもありました。
 
ボクの事務所に問い合わせをしてくれる人たちは、
あらかじめ雑誌やホームページなどのメディアや、
ハウスメーカーや工務店の展示場などから
なんらかの情報を得ている場合が多いのです。
 
ボクもホームページなどで図面では表現しきれない考え事や
身の回りに起こることについてぼんやりと
出来る限り包み隠さず
徒然に綴っていたりします。
 
そう言ったことから
あ、こいつなら頼んでもいいか、
と思って依頼に来てくださるのだと思います。
 
こいつには自分をさらけ出してもいいか、
と思える人に出会うことは大事なことです。
 
人間どうしだから相性もあります。
 
ダメだと思ったら早くそこから逃げるのも
大事なことだと思います。
 
無理やり続けると相手に対して
大したことのないことで疑念や疑いが生まれたり
腹の探り合いをして、
変な駆け引きが生じてしまったりすると思います。
 
ボクは気が小さいせいか、
そういう関係がすごく苦手です。
 
お互いかっこつけずバカみたいに正直にいくことが
一番大切なことだと思っています。
 
正直でいればさまざまなロスがなくなり
結果的にはコストダウンにつながっていくのではないかと
思っています。
 
 
写真は「(仮称)西大寺の家」の階段の一部です。
バカ正直に隠れる部分を見せてしまいました。

かくあらまほし

0701-綾川町05

この場所は、
単なる軒下空間ではなく、
立ち話をしたり、
絵を描いたり、
お酒を飲みながら読書をするような、
親密で心地良い場所である。
 
 
どこかへんてこだけれど、
そこにいる人はそんな風に思っていない。
 
ずっと昔からそこにいるように見える。
人が場所を創造的に使い倒している。
 
さてどう建て替えるか、、、
 
かくあらまほしきことなり。
 
0701-綾川町01

小さな家もいいもんだ

0526-廿日市の家

先日は、
「少し小さな家」のお引渡しと、
「もう少し小さな家」の設計契約でした。
 
それぞれの床面積は
24坪と20坪。
 
 
依頼主はもちろん、
建てる場所、
敷地の大きさや形状、
要望などは違えども
共通して言えるのは
「共生の原理」
それは
「自然と人間」
「内と外」
「光と闇」
などなど、、、
 
 
「ツルツルピカピカはダメです。仕上げは前からそこにあった感じで。」
「個室は要りません。適当にベッドを置きます。」
「開放的に。外から見えてもいいです。目が合った時は手を振ります。」
 
 
依頼主が設計者よりもよほど乗りやすく
また勝手な想像力をたくましくしてしまう場合は、
設計者はただただ大人しく
ニコニコしていればいいのである。
 
そして時に、
それはチョッとやり過ぎじゃありませんか?
なんてうつむき加減につぶやいて
うれしさをかみ殺していればいいのである。
 
0527-小さな家

いくつかの計画案

akmt-01

囲まれた場所に建つ家
 
ここ数ヶ月、プレゼンテーションが続く中、
実態としての建築や計画していると、
大事に育て、力づけようとしてきた夢想が
現実の力に抗いきれずに、
ボロボロに崩れ去って
霧散してしまいそうな体験を度々してきた。
 
もちろん崩れ落ちてばかりではいけない。
 
内からの意思も必要である。
 
他者との戦闘能力は必須なものであるけれど、
やはりお互い内なるものがなければ何もスタートしない。
 
崩れても尚、根気強く続けていられるのは、
その内なるものが
時に他者との遭遇から生み出され、
発酵されるからなんだと思う。
 
また発酵されるいくつかの大事なものが動き出す。
 
cb-01
小さな家
 
ymsk-01
幹線道路に建つ美容室
 
sgw-01
変形地に建つ平屋の家
 
ksk-01
角地に建つ家
 
kn-01
細長い敷地に建つ家

同時開催

0304-東山崎の家OH

↑ 高松市「東山崎の家」平屋の寄棟の家
 
 
0304-妹尾の家OH
↑ 岡山市「妹尾の家」スキップフロアの家
 
 
このたび設計監理を進めてまいりました
「東山崎の家」と
「妹尾の家」が
竣工しました。
 
クライアントのご厚意により
オープンハウスを行います。
 
お時間が許すようでしたらぜひお越し下さい。
 
当日はゆっくりご覧いただけるために
予約制とさせて頂いております。
 
ご予約は下記、
TEL・FAX・メールにてお問い合わせください。
 
現地の場所については
ご連絡いただきました方に
こちらからご案内いたします。
 
 
設計監理:テンキュウカズノリ設計室
岡山市北区丸の内1-13-10-2F
Tel:086-235-5516
Fax:086-235-5517

http://www.k-tenk.com

E-mail:info@k-tenk.com

光の役割

0214-東山崎の家

 
「妹尾の家」
「東山崎の家」
ようやく足場が外れる。
 
 
空間の快適さの中で
光が占める役割の重要さというのは
相当なものではないかと思います。
 
 
それは照明器具の光ではなく
自然の光なのです。
 
0214-妹尾の家