カテゴリー別アーカイブ: かりそめ

混沌と秩序

1230-味野

 
「良い音楽、自分たちが好きな音楽が売れるわけではない。
ただ、良い音楽は必ず残っていくと信じている。」
 
誰かが言っていた言葉を思い出すたびに
さわやかな気持ちにさせてくれる。
 
ただ、プロとしてものをつくるとき、
誰もがぶつかるジレンマなのだろう。
 
修練を積んだ専門家と
大衆の好みが一致することはまれだ。
 
建築においてもそれに似た状況に
出くわすことがあるが、
建築は一方通行に発信するものではない。
 
施主がいて、設計者がいる。
施工者もいる。
公共性をもつ。
 
それらのコミュニケーションのなかでつくられる。
 
混沌とした要望や関係の中で、
秩序ある社会や思いの中でつくられる。
 
 
日本人というのは
混沌と秩序の中間をうまく探し出すのが
好きなのだろうか、、、
 
あまり完璧だといけないと言って
傘を忘れた左甚五郎を尊ぶ精神が
どこかにあるのだろうか、、、
 
有限の世界にいることを悟った
古代ギリシャの人たちのように、
無限なんて望まないほうが
いいのではないか、、、
 
 
仕事納めの日に
今春お引渡したお家にお伺いした。
 
突然の訪問に驚き、
久しぶりの再会に喜び
時間を忘れて暗くなるまで
たくさんお話が出来た。
 
生活を始めてからいろいろな気持ちを聞くことが出来た。
 
設計打ち合わせでは考えていなかったこと、
意図してなかったこと、
あえて完璧さを求めず作ってきた場所で
新しい生活を作り、楽しみ、
出会いを大切にし、
たくさんの人に愛されている。
 
今年は特に設計すること建築することを
改めて考えさせられることが多かっただけに、
年末最後の訪問は
僕にとって、スタッフにとって
この仕事をやってきて良かったと
再確認出来た時間だった。
 
 
建築は雨風をしのぐためだけのシェルターではない。
とくに住宅の設計においては。
 
建築をつくることの真理を、
概念の上ではなく
現実の経験として感じることが出来る。
 
クライアントと出会い、計画が始まって
途中お互いを疑うこともなく、
信頼関係の中での
3年越しの完成だったから感じたのかもしれない。
 
 
来年は看板ネコ「スコちゃん」が待つ
「HOBAL BAGEL」へOPEN1時間前に来て
並んでいる人とのコミュニケーションを大切にしながら
クライアントがつくるベーグルを
買って食べることを楽しみに
今年を締めくくります。
 
それではみなさん
良いお年をお過ごしください。
 
 
 
突然の訪問、
抜き打ち検査に快く対応してくださったOさん
ありがとうございました。

優しさとはかなさと

20171210 鳴門

ある世界ではミステリアスで
寓話的で美しく見え、
またある世界では
全然楽しげでもないし、
人々は疲れ果てながらも、
未来生活を振る舞おうと
しているように見える。
 
薄い皮をめくると
一気に涙が溢れ出るような、
絶望ギリギリの
精神状態のような緊張感。
 
 
そんな中スーパーヒーローは
いつも強く優しく
前向きでいなくちゃいけないけれど、
その実、
はかなさともろさと表裏一体で
それは相容れないが共存している。
 
 
前を向き合い、
膝を突き合わせることから
始まるのかもしれない。
 
 
「鳴門の家」の掘りごたつの中から

建築の理解度

20171210大島

 
1213-小屋
 
 
「大島の家」、「こやといえ」
ようやく足場が外れ
徐々に外部が仕上がっていく。
 
 
§
 
 
建築をつくるには
クライアントの
建築に対する理解も大切である。
 
スイスのチューリッヒでは
建築賞というものが
市民である施主が表彰される。
 
これには建築主の
建築的な考え方をしっかりと評価し、
その結果を広く一般市民に
知らせる目的がある。
 
すでに社会に根ざした
音楽や絵画と同じように、
社会的な地位を
建築の分野でも
確立していこうというのである。
 
 
§
 
 
1213-草屋根
 
こちらのご夫婦は来年地上波初登場となり
関西方面において広く知られていくのか?

やるべきこと

20171210屋上

10月から始まった展覧会と
30年を節目に行った
師匠の建築展が終わり、
落ち着くはずの年末は
ドタバタの毎日。
 
 
やりたい事、
やらねばならぬ事は沢山あるのに
出来ていることはあまりに少ない。
 
まずは事務所の屋上に上がって
やるべき水をやる。

洞窟の記憶

0909-撮影

人は広大な草原や、
渺渺たる大海原の真ん中に出ると、
底なしの不安に襲われる。
 
このような不安を
解消してくれる存在は何なのか?
 
 
それが洞窟に他ならない。
 
ほの暗い林床のように暖かく、
また樹上にいるような安心感を得られる。
 
草屋根の家には
洞窟や山容の記憶の源がある。
 
浴室のドームを見上げると、
それはネアンデルタール人が見上げた
洞窟の天井だったにちがいない。
 
 
年内には「草屋根の家」が
HPで紹介出来るやもしれぬ。

測ること

0811-塊根植物

 
塊根植物と引替えに、、、
 
 
物差しは人それぞれの歴史や経験でつくられる。
 
筋書きや解釈がそこにつくられて、
良し悪しの判断の基準となる。
 
それに頼りつつ、
あるいは疑いつつ、
行動を選んでいる。
 
測りながら
人はそうやって生きている。
 
 
測ることはあやふやな自分の場所を
見出そうとすることと重なる。
 
測るためには、
定規が正確でなくてはいけないし、
目盛りを見る目が確かでなくてはいけない。
 
それを正確に測ることはとても難しいので、
私たちはしばしば測る行為を間違える。
 
 
己を知れ、と言われても
完全に測れる人はいない。
 
ましてや他人を含めた自分の生きざまを
正確に測りきることは余計に難しい。
 
だから後になってその測り間違えに気づき、
しまった、っと思ったりする。
 
最後までうまく測りきれずに終わることだってある。
 
それでもやっぱり私たちは何かを測り続けている。
 
測ることは、自分の不完全さを絶えず確認しながら、
より良き道へと進ませようとすることなんだと思う。
 
 
 
何かを見つけながら、、
 
何かを測りながら、、、

深夜力

0805-花火

 
花火と月と平野
事務所の屋上にて
 
 
 
職業柄、忙しいときは仕事が
深夜に及んでしまうことがある。
 
夜の方がかえって仕事が進んだりする。
 
午前中に新鮮な気持ちで
仕事を次々と進めていく快適さも大事だけど、
昼間には常識的な考えしか
浮かばなかったことが、
夜になるとフワッとアイデアが
生まれてくることが多々ある。
 
学生の頃は設計の課題で
幾度となく徹夜を経験する。
 
そして、徹夜でモノを生み出すことの
楽しさみたいなものを共有する。
 
夜は人を少しだけ変え、
昼間には隠されていた
楽しさのふところに触れさせてくれる。
 
 
夜、仲間たちと久しぶりに飲み明かす。
夜、ふとしたきっかけで何時間も電話で話をする。
夜、小説にはまり時間を忘れて読みふける。
夜、全てを遮断して、思考を深め、図面を書き続ける。
夜、試験が迫っていることに焦りを感じながら、
自分の将来について夢想する。
 
 
家のどこかに
その深夜力を大切に守る場所を
作り出すことが、
きっと建築家の役割なのだろう。
 
 
夜、時に人を執拗にさせる。

時間と場所

0604-島01

 
打合せのため再び島へ渡る。
 
ここへ来ると時間を忘れさせてくれる。
 
その場所からなのか、
そこに住む人からなのか、
それともある時代から屋根裏に隠されていた
身を守るための刀のせいなのか、、、
 
 
ある土地で住んで積み上げてきた知恵。
 
そこに示されている成果物は、
厳しい状況の中での祖先の苦労の報酬でもある。
 
注ぎ込まれた生命がひしひしと訴えてくる。
 
世代を超えようとした文化がそこにあり、
それは単なる情報でもなく知識だけではない。
 
 
その場所には人生の詩や歌が託されていて、
そこに住む家族の想像力や時代を洞察した叡智など、
そこに住む人たちがもがきながら掴もうとする表現などが
渾然一体となっている。
 
 
僕たちがどんな場所であれ、
自信を持って住んでいる人たちのところを訪れるとき、
どんなに素朴であっても、
守るべき場所の持ついとなみの持続と想像力から
深い感動を受ける。
 
ここではそれが豊かに存在する。
 
0604-島02

本当とウソ

0603-草屋根

雨の中の草屋根の家
 
取材してくださった方々までもがこの家を愛し、家人を愛す。
みんな本気で仕事してるから
本気で感じているのだろう。
 
 
§
 
もし本当に建築を愛し、
建築に教えられ、
建築と一つになるならば、
それは遊びとも決して無縁ではなく、
遊びを愛し、
遊びに教えられ、
遊びと一つになれる。
 
そうすれば建築にも興味を持ち、
同じように遊びにも興味を持ち、
設計は楽しみを増すだろうにと思う。
 
ウソの建築を大切にするものは、
遊びにもウソを持ち込み、
表面的で住みにくい世界が出現する。
 
人の前でウソの姿を見せ
人の目を欺いて本当の姿を見せる。
 
心すべきことだ。
 
§
 
0603-安並
一年経った安並の家
さらに自然と一体化し、
生活と一体化する。
 
0603-大島
大島の家
いよいよ着工。
 
0603-測量
市道をまたぐように架かる鳥居。
レベルを覗くスタッフ。

モチベーション

0507-馬術02

モチベーションを上げるには
いろいろ方法があるらしい。
 
ひとつは
「外発的動機付け」
といわれるもので、
馬の鼻先ににんじんを吊り下げる、
という最も分かりやすい方法。
 
もう一つは
「作業興奮」
というもので、
体を動かすことで神経細胞が
ノってる状態を作り出す方法。
 
 
設計の作業は正解を導くために
多くのエラーを検討する作業である。
 
頭でスマートな答えをアレコレ考えるより、
とりあえずは走り出すことが
重要なのだということを
いくつもの習い事をやってきて
好きなことが少しずつ
見えてきているムスメを見てそう思った。