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内と外の間で

扉の外の景色の微細な変化を

より際立つために、

内外の空間を噛み合わせ、

近景の奥行きを深める。

生活が環境の移ろいに敏感になり、

自然と意識は外へ向かう。

建築はそのための

静かな骨格であれば良い。

soil village ~3.まえがき~

風景はいつでも常にそこに存在する。

だから僕たちが風景に対しては

創造とか構築ではなくて、

「参加」や「変容」なんだろうと思っている。

建築はもちろん、政治や経済、

食や健康の問題も背景にある。

「基盤」「他者」「参加」

これらの言葉から連想されるように、

私たちにとっての風景は

まさにパブリック空間として存在し、

それらを互いに繋ぎつつ、

共通の土壌でもあるこの場所に

本当にふさわしい風景を

探すきっかけになればいい。

地鎮祭

徳島の街の中で

地鎮祭が執り行われた。

11月も終わりだと言うのに心地いい。

真昼の高い光が街の影を落とし、

街はまぶしいくらいに輝いて、

季節外れの心地良い風を感じる。

その風に背中を押されるようにして

新たな現場が始まっていく。

人工と自然

自然をいくら恐れても

恐れすぎることはない。

だけど壊したら

簡単には花は咲かない。

人の手が加えられていた土地に、

少しでも自然に戻せたらという思いで

石を積んでいく。

列柱の森

柱が規則正しく親密に立ち並び、

風が吹き抜ける。

濃密に立ち並んだ列柱の森は

人々の太古の記憶を呼び起こす。

人馬の歴史が続き

パートナーとして発展していく。

ワイナリー

空は果てしなく広がっている。

野を越え、畑や山を越え、

たどり着いたのは岡山の県北の山の中。

クライアントはそこに溶け込んでいるような人柄で

その人のもつ雰囲気からだけでなく、

装飾を削ぎ落とし萌芽のような

素直でおおらかな建築を

つくりたいと思った。

soil village ~2.月山富田城に登る~

この町には資源がある。

山や川、田畑といった自然資源と、

歴史、文化、芸術といった社会資源が

「基盤」となっているが、

この資源と言える景色・景観が

当たり前のように

通り過ぎていくようにも感じた。

景観というのは

つかみどころがないようだけど、

「誰か」だけではつくり得ないその風景は

切れ目なくつながっていくと同時に、

なんとなく出来上がってしまうもののような気がしている。

ラ コリーナ

~半年ほど前の話~

伊勢神宮の帰り、

少し遠まわりだけど

どうしてもこの目で確かめたかった

近江八幡にあるラ コリーナへ、、、

ムンムンする草いきれのこもる

正面の庭を通り抜け、

フジモリ建築が出迎えてくれる。

草屋根の建物をあっさりと通り抜けると

田んぼやそれを包み込む建物群が広がっていて

悠々しく僕たちを迎えてくれた。

建物の存在よりも

生命と大地を感じる。

田んぼとそこに点在する

7つの石がそうさせているのか、

建物と地面の接するデザインが

そこに存在するか否かを

感じさせているからなのだろうか、、、

通勤

朝7時、歩いて通勤。

毎朝旭川の土手を歩くのが心地いい。

徐々に仕事モードに切り替えていく。

切り替えが早すぎると

心地いい景色が

立面図に見えてくる。

やわらかさ

取手、握り棒、ハンドル、ツマミ

扉には開け方によっていろんな引手がある。

今回の引手は、押すのか引くのか

一見どうしていいのか戸惑ってしまう。

そんな時そっと手を添えて

素材に聞いてみると

答えが返ってきそうな引手にしたかった。

当初ステンレスで考えてたけど

Yさんと検討に検討を重ね

鉄の方が柔らかさを表現できるので

急遽鉄に変更。

きっと優しく答えてくれるだろう。