何かを生み出す

仕事納めはCSHの庭の打合せ。
 
そのままCSHのクライアントと、
森の大屋根のクライアントも合流して
夜を共に過ごし
ここで2度目の朝を迎える。
 
 
気がついてみたら、
今年もあとわずかになり
今年の目標だった建築と人と自然の関係は
あいかわらず永遠の課題のままで、
一年を振り返るとたくさんの出会いがあり
様々な問題に
直面していたように思う。
 
 
何かが生み出されるために
必要なものは何だろう。
 
どんなにささやかなことであっても
「何かを生み出す」ことを職業とするということは、
「他者と異なる」ことの不安と覚悟とは表裏一体だ。
 
どこにも寄りかかれる場所はない。
 
だれも助けてはくれない。
 
初めのピュアな志をくじかれる機会は
ほとんど毎日のように訪れる。
 
他の人たちが
確かな道を進んでいるように見える中で、
自分だけが
取り残されていくような気持ちに
日々つきあわされる。
 
けれどもそう思いながらも、
当たり前の日常や
常識の中で身体で感じたり、
疑問に思ったりすることで、
いつか不意に
何かが生まれているものなのだと
思うこともある。
 
 
土はなんと自由なのか。
鉄はなんと重たいものか。
野芝はなんと優しいのだ。
朝はなんと清々しいのだ。
夜はこんなに闇だったのか。
 
日常の常識や知識が
身体に体当たりしてくる。
 
頭だけでは考えられない。
 
手が考え、足が考える。
 
素直に身体が答えを出す。
 
 
何かを生み出すと同時に
身体が答えを出し、
その答えが少しずつカタチになった反面、
振り返ってみると
一人で突っ走っていたような、
てんでんばらばらな一年でもあった。
 
来年は想いを共有出来る人たちと、
同じ方向を向いて
一緒に走っていくことがさらに
「何かを生み出す」ことに
つながっていくのではないだろうか、、、
 
 
それではみなさん、良いお年を!

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